ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

艫作埼灯台

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(写真1 麓から見上げた艫作埼灯台)

灯台はヤブの中

 男鹿半島の突端、入道崎を過ぎて日本海を北上していくと次ぎに見えてくるのは艫作埼(へなしさき)灯台だ。不老ふ死温泉はこの麓にある。ウェスパ椿山駅から送迎バスで不老不死温泉に降り立つと後背の丘の上に艫作埼燈台が見えた。ここを訪れるのは初めてではなかったのだが、あまりに近くてびっくりした。午後4時を過ぎたばかりだったが灯台はもう点灯していた。
 最寄り駅は艫作で、徒歩15分ほど。駅から線路を渡って海岸に向かって歩いてくると灯台入口の表札があり、その角に「五能線全通記念碑」という立派な石碑がある。昭和10年7月30日建立とあった。

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(写真2 ヤブの中から顔を出している灯台)

 実は、ホテルに聞くと夜明けは6時半頃というので、灯りが灯っているうちに灯台が見たくて、5時半頃にホテルを出て灯台への坂道を登っていった。すると、15分ほどでくだんの記念碑があり、左折して灯台を目指した。
 ここからは10分ほどだということだったが、どこでどう道を間違えたのか、行けども灯台は姿を現さない。人跡は1本しかなかったのだが。
 そのうち背の高さほどのヤブに取り囲まれて身動きが取れなくなった。しかもまずいことにつまずいて転んでしまったら、情けないことに起き上がることもできなくなってしまった。気温は零下4度とあって体温が急速に奪われていく。
 ここで遭難というわけにも行かず体力気力を振り絞って何とか起ち上がった。ところが、よせばいいのに、灯台を見つけたくて再度探し回っているうちにこんどは完全に道に迷ってしまった。灯台は見えているのにヤブが深くて近づけない。というよりも、道らしい道はそもそもなかったのである。
 そのうち、遅ればせながら危機的状況にやっと気がついてしばらくうろうろしたあげく何とか脱出した。ホテルに帰り着いたら8時半を回っていた。
 この間約3時間。コートからズボンから泥だらけになって家内の前に姿を見せたらひどく叱られた。返す言葉もなかったが、実際、これほどひどい灯台行は経験のないことで大いに反省した。
 結局、灯台はそばで見ることはできなかったが、すらりとしてなかなか姿がいい。大型灯台であろう。かつては3等フレネルレンズだったらしいが、遠かったのではっきりしないが、灯器はLB型であろうか。

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(写真3 8年前の2011年7月17日に見た灯台)

<艫作埼灯台メモ>(「灯台表」等から引用)
 航路標識番号1425(国際番号M7055)
 名称/艫作埼灯台
 所在地/青森県西津軽郡深浦町舮作
 位置/北緯40度36分8秒 東経139度51分8秒
 塗色・構造/白塔形
 塔高/24メートル
 灯火標高/68メートル
 灯質/単閃白光毎10秒に1閃光
 実効光度/77万カンデラ
 光達距離/21海里
 初点灯/昭和16年(1941)9月15日