ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『永遠の門』

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(写真1 映画館で配布されていたチラシから引用)

ゴッホの見た未来

 ゴッホの半生を描いている。
 弟テオを頼ってパリに出てきたゴッホ。まったく絵の売れない日々が続き、カフェで行った個展では店主に「客が来なくなる。すべての絵を運び出せ」とまで言われ惨憺たる結果。
 そのような折、テオに紹介されて会ったゴーギャンに「南へ行け」というサジェスチョンを受け、南仏アルルに赴く。
 アルルでは、画材道具を背負って、野や畑を歩きまわり、ひたすら描き続ける。大平原がゴッホの心情を写しているようだ。
 しばらくしてゴッホは黄色い家を借りて、ゴーギャンをパリから呼んで共同生活を始める。ゴーギャンとはディスカッションを繰り広げる。
 ゴッホが「絵は(見た自然を)一捌けで、すばやく描くものだ」と語るのに対し、ゴーギャンは「速すぎる。(もっと内面を描かねば)」と主張する。また、ゴッホは「ぼくの絵はぼく自身だ」と語るのだった。
 やがてゴーギャンが、絵が売れたと行ってパリに帰っていくと、ゴーギャンを呼び戻すために自分の耳を切り落としてしまう。
 ゴーギャンとの別離が強いショックとなって、このあたりから精神に変調を来し、アルルにほど近いサンーレミの療養院に移る。
 その後、精神病院に入ることにもなったが、ここでの牧師との対話が重要な位置を占めていた。すなわち、「神は私を画家にした」「未来の人のために描いている」「狂気は最高の友だ」などと。
 映画は、手持ちカメラを使ったりしてゴッホを水平に捉えようとしていたし、ゴッホが見た初めての印象を忠実に描こうとしているなど独特のカメラワークがあった。
 真っ黄色に染まった畑など映画の描く自然はまことに美しいものだったが、時に、ゴッホの内面を描こうとしたのか暗喩も多くて、枯れたヒマワリが出てきたり、夕陽に向かって歩くゴッホには苦悩が感じられた。
 ゴッホに関しては、弟テオとの膨大な手紙が残っているし、たびたび映画化もされていてそれなりにその半生は知られているのだが、映画では、あちこちで新しい解釈が試みられていた。
 すなわち、その一つに、ゴッホは自画像で右耳を切り落とした絵を描いているが、映画のゴッホは左耳に包帯を巻いていた。ゴッホは鏡を見て描いたので左右取り違えたということなのだろうか。あるいはそれほどに精神が病んでいたことを示したかったのだろうか。
 また、ゴッホは37歳の時にピストル自殺したと伝えられているが、映画では少年に腹部を撃たれたことになっていた。実際、ゴッホの最後については諸説あるらしいが、新しい解釈を示していた。
 それにしてもゴッホを演じた主演のウィレム・デフォーが良かった。何しろ三十代のゴッホを六十代の俳優が演じたのだが、まったく違和感がなかったし、それよりも、デフォーなくしてこの映画の成功はなかったのではないかとさえ思われた。デフォーはこの映画でベネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞しているし、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。三十代のゴッホを六十代の俳優に演じさせようという監督の采配もすごいものだ。監督ジュリアン・シュナーベル。2018年アメリカ・イギリス・フランス合作。