(写真1 劇場で配布されていたチラシから引用)
イラン映画
ドキュメンタリー映画。
カメラは犯罪更生施設に入り込んでいる。高い塀に囲まれ、中央の高い監視塔には銃を持った男。まるで刑務所といった様相だ。
入所してきた少女は、両手の指に黒墨をべったり塗られ指紋を採られる。まるで犯罪者としての決定的な烙印を押されたようだ。
中庭では、少女たちが雪遊びに興じている。雪合戦をする者、雪だるまをつくっている者。底抜けに明るくて、あまりに予断と違うからちょっと戸惑う。
隔離区域に入ると、収容されているのは少女だけ。体育館ほどの広い部屋の両側に2段ベッドがずらり並んでいる。40人分ほどもあるか。
映画は少女たちへのインタビューの連続である。
コカイン常習者の父、鬱病の母。母に虐待され、学校にも行けなかったと語る少女。
〝名なし〟と名乗る少女。強盗、売春、薬物使用で収容された。12歳の時におじから性的虐待を受けた。
651と呼ばれる少女。名前の由来は所持していたクスリのグラム数だという。
「父を殺した」と語る少女がいる。
インタビューに答える少女たちの告白はあっけらかんとしている。カメラは大写しで表情を追う。
見ている途中で気がついた。カメラが少女たちとの信頼関係を築いているのだ。それで赤裸々な姿を見せているのだ。カメラの目線が少女たちと同じレベルになっているのだ。初めの頃とインタビューを重ねるほどに表情に明るい変化を見せる少女がいる。
しかし、少女たちには感情を抑えきれないでむき出しになるときがある。きみの罪は?「生まれてきたこと」、きみの望みは?「死ぬこと」
出所できることになったのに、誰も迎えに来ないと知って慟哭する少女がいる。「私にまた路上で生活しろというのか」と叫ぶ。
出所できる少女がいる。みんなから祝福され「戻るなよ」と声をかけられる。しかし少女には不安がある。施設にいた間が人生で一番情緒が安定していたと気づく。
鹿爪らしく書けばいろんなことが書ける。しかしそのどれもが陳腐になりかねない。そしてこの映画のいいところは、一切の虚飾を剥いで淡々とカメラを回したことだろう。塀の外にカメラは出なかった。余計な説明をしたくなかったのであろう。映画は解説を読むものではなく、スクリーンで映像を見るものだ、そう訴えているようだった。
2016年イラン映画。監督メヘルダード・オスコウイ。ペルシャ語の原題は意味がわからないが、英題は邦訳すれば「星のない夢」とというほどの意味。第66回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門アムネスティ国際映画賞受賞作品。