ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『レディ・マエストロ』

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(写真1 映画館で配布されていたパンフレットから引用)

女性指揮者のパイオニア描く

 女性指揮者のパイオニアとされるアントニア・ブリコの半生を描いている。
 ここのところ、女性指揮者西本智実さんが指揮する演奏会に出掛けたり、ブザンソン国際指揮者コンクールで沖澤のどかさん優勝の報道に接したりと、私自身、女性指揮者への関心が何かと高まっていて興味深く観た。
 1926年ユーヨーク。コンサートホールの案内係をしているアントニア。演奏されている曲に合わせて弁当の箸を指揮棒代わりに振っている。また、ホール中央通路の最前列に折りたたみ倚子を持ち込んで演奏を聴いている。膝には楽譜が載っているのだが、アントニアは全パートを暗譜しているのだった。
 アントニアは、貧しいオランダ移民の子。アパートの部屋に拾ってきたアップライトピアノを持ち込むなどとにかく音楽好き。指揮者になるのが夢でまっしぐらに突き進んでいく。
 コンサートホール案内係を首になったアントニアは、場末のナイトクラブでピアノ弾きの職を得て、音楽学校に通い本格的に音楽を学ぶ。しかし、そこでも教えてくれていた男のセクハラがあって飛び出して母国オランダへ渡る。
 アムステルダムからは紹介状をもらってベルリンへ。どこへ行っても女性指揮者への障害は高いのだが、ベルリンでは高名な指揮者カール・ムックの弟子になった。アントニアの生涯を音楽へかけるというひたむきさが彼を動かしたのだった。
 やっとベルリンフィルハーモニーの指揮台に立つことになったのだが、団員たちは女性指揮者を侮っていうことをきかない。ムックは「女1人対男100人だ」「指揮者は専制君主でなければならない。ここでは民主主義は必要ない」と言ってアントニアを鼓舞する。
 ベルリンフィルの演奏は大成功で、スタンディングオベーションの万雷の拍手が鳴り止まない。地元紙は「アメリカ娘 ベルリンフィルを牛耳る」との見出しを掲げた。
 欧州での成功をひっさげてニューヨークに乗り込んだアントニア。しかし、ここでもニューヨークフィルハーモニックは女性指揮者を忌避する態度。
 アントニアはついに女性だけのオーケストラを結成する。これには大統領夫人エレノア・ルーズベルトの支持が与って大きかった。
 コンサートの成功を危ぶむ興行主に対して、アントニアはコンサートを無料にしてニューヨーク市民に開放する。会場(おそらくカーネギーホール)は押しかけた市民で溢れたのだった。
  女性の指揮者などまったく考えられなかった大恐慌の時代。数々の障害を乗り越えながら初めての女性指揮者となったアントニア・ブリコの半生を描いたのだが、二人の男性との出会いが大きな意味を持った。一人は上流階級の子息フランクで、今一人はナイトクラブ支配人ロビン。この二人が影ながらアントニアを支援してくれた。また、この二人はそれぞれに映画の中で重要なモチーフを提供していた。
 ただ、挿入されるエピソードが多すぎて、それはそれで映画を面白くしてはいたのだろうが、私には少し忙しすぎた。
 それよりも、指揮者となる才能とは何か、指揮者の仕事とは何かというあたりにももう一つつっこみが欲しかったように思われた。
 また、同じような意味で、劇中、数々の名曲が挿入されたのだが、いずれもさわりだけで、美しい音楽を楽しむような余裕がなかったのは残念だった。ただ、ラストシーンで演奏されたエルガーの「愛の挨拶」はあまりにも美しくて万感迫る思いだった。
 なお、最後の字幕には、「グラモフォン調べ2017年の世界の指揮者トップ50に女性は一人も入っていない」と出ていた。
 アントニア・グレコが開拓した女性指揮者の地位だったが、依然として厳しい状況が続いていると言うことだろうが、少なくとも日本では、ブザンソンで1982年に女性で初めて優勝した松尾葉子さんのほか後進も育っており、女性指揮者といって特異性が強調される必要もなくなってきているのではないか。ちなみにブザンソンは小澤征爾さんが1959年に日本人として初めて優勝したことでも知られる。
 2018年オランダ映画。使用言語は場面ごとに切り替わっていて英語のほかオランダ語、ドイツ語が出てきた困った。英題はコンダクター(conductor)。監督マリア・ペーテルス