ABABA’s ノート

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ウィリアム・トーブマン『ゴルバチョフ』

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その人生と時代(上・下)

 ソ連の最高指導者だったミハイル・ゴルバチョフの評伝である。ただし、ソ連という政体においては最後の書記長であり大統領であった。1922年生まれ、現在も生存中と伝えられている。私としてはペレストロイカを推進した人物として記憶にあるが、果たしてどういう人生だったのか。
 著者ウイリアム・トープマンは、アメリカの政治学者・歴史学者で、ロシア・ソ連政治外交史が専門。著書にはピュリッツァー賞を受賞したニキータ・フルシチョフの評伝がある。
 冒頭に、本書を執筆中だった著者トープマンに対し、当のゴルバチョフが進み具合を尋ね、難航していると答えると、「当然だろう。ゴルバチョフは謎だ」と語ったというエピソードが紹介されているが、ゴルバチョフに関する最大の謎は、なぜ、自ら権力を手放したのかという一点だ。
 1985年に書記長に就任したゴルバチョフは、スターリンやブレジネフらがそうだったようにすべての権力を握っていた。ソヴィエト連邦共産党書記長の権力がどれほどのものかは、我々でも窺い知っているほどだ。
 そのゴルバチョフの就任当時、ソヴィエトは経済危機にあり、その打開のためにペレストロイカに着手した。ただし、ゴルバチョフが念頭に置いていたのはあくまでも社会主義体制下での民主化だったのだが、大きな改革のうねりは彼の構想の枠内にとどまることはなかったようだ。そして大統領制を敷いたものの、1991年ついにソヴィエトは崩壊してしまった。
 また、ゴルバチョフの権力基盤は盤石なものではなくて、政治局内においても微妙なバランスの上に乗っていたようだ。急激な改革は保守派の反発を招くこととなり、エリツィンのクーデターによって失脚してしまった。
 そもそも、ゴルバチョフが書記長に就任した当時、「彼を脅かすような脅威が直接迫るようなものではなかった」のに自由選挙を実施し、ペレストロイカを加速させてしまったという。
 ゴルバチョフは人生で西側に学んだ経験はなかったが、西側流の改革を進めたわけで、「西側では概ね、20世紀後半で最高の国家指導者」と評価されているのに対し、「ロシアにおいて、ソヴィエト連邦を崩壊させ、その後の経済危機を招いた張本人と蔑まれている」といい、〝ソヴィエト体制の墓堀り人〟とまでこき下ろされているという。
 それにしても、体制の崩壊というのは何とあっけないことよと思う。蟻の一穴からでも崩れるのだ・
 本書は単行本2段組、上下2冊、総ページ数892ページの大部。読み通すのに苦労するほどだが、しかし、トープマンの文章はなぜになぜにと続くから拾いながら読むには適当で、しかも、松島芳彦の訳は読みやすく、滑らかだった。政治家の評伝などおよそ面白いものは少ないが、本書はなかなか魅力的だった。
(白水社刊)