ABABA’s ノート

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池澤夏樹『科学する心』

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文学的科学エッセイ

 大学で理系に身を置いたこともある著者によるこれは科学を話題に据えたエッセイ集。とにかく著者の該博な知識には驚嘆するばかりだが、そこは一流の文学者によるものだから、一つひとつのテーマはとても難しいものばかりなものの、理系にほど遠いものにも最後まで読み通させる面白さがあった。
 12章から構成されていて、各章のタイトルは、ウミウシの失敗、日時計と冪とプランク時代、無限と永遠、進化と絶滅と愛惜、原子力、あるいは事象の一回性、体験の物理、日常の科学などと並んでいる。
  要約が難しいが一つ引いてみよう。
 生命に関わる元素の数はそんなに多くはない。人体を構成するのは十一種の主要元素、その他に健康を維持するためには十五種の微量元素が要ると言われるが、つまりそれだけで足りるのだ。すべての生物で考えてもせいぜい四十種類。
 これで無生物ととは決定的に異なる存在が誕生し、生存し、生殖し、進化してきた。元素という単純きわまるものからかくも複雑で自律的なものが生み出される。普通ならばそこに更に上位の意思の介入を想定したくなる。その安直な誘惑に背を向けるのが科学である。(中略)
 こういう例によってぼくはホモ・サピエンスの優位という神話を壊したいと思っている。ここでまた、自分たちも種の一つであるがゆえに偏見から逃れられないという問題に立ち返る。進化は進歩ではないと識者が何度となく警告しても一般の人々は「進化したケータイ」という広告を信じる。進化は常に環境とセットであって、突然変異の結果が環境の中で有利ならばその種は栄え、そうでなければ滅びる。まあ、ケータイもガラパゴス化して滅びたりするから、市場という環境かを遠くから見るならばそこで起こっている現象の全体は進化なのかもしれないが。(以上第四章進化と絶滅と愛惜から)
 引きたい言葉はたくさんある。
 放射性物質の扱いは人間の手に負えないと言うことだ。…化学反応と核反応、つまり原子同士の反応と素粒子間の反応はまるで違う。
 パスカルのあの言葉は日本語では別の役が可能だ——人間は一本の葦に過ぎないが、しかしそれは思う葦である。「考える」ことはAIにもできるが、「思う」ことは今のところ人間にしかできない。
 それにしても、著者の圧倒的読書量には驚かされる。本文中で引用したり紹介されたりしている本の何と広範なことか。書評家としての著者の一流ぶりは、我が国の書評文学を確立した丸谷才一が推したほどだが、この広範さには丸谷もかねて感嘆していたのではないか。
 最後に一つ。常に冷静な著者がちょっと感情的になったのではないか思うところがあった。次に引いてみる。
 世間ではバカな蕎麦屋が氷水で冷やしたざる蕎麦を出してくる。冷たすぎて風味も何もあったものではない。
 前後を省いたので趣意が違って受け止められかねないが、蕎麦好きの私としても大賛成なのである。
(集英社インターナショナル刊)