ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

網走-釧路-新得-富良野-旭川-岩見沢

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(写真1 海に最も近い駅北浜.。左がオホーツク

最長片道切符の旅 北海道版第2日

 網走では、駅の真正面にあるホテルに泊まった。ところが、網走というところは、飲食店街は離れていて、駅の周辺にはほんとうに少ない。網走も肴はうまいということは知っていたが、タクシーで出掛けるほどの気力もなくて、やっと駅の近くで1軒点いていた灯りを見つけた。中華料理店で、案の定混んでいる。小さな店だが親爺が一人で切り盛りしていて、料理が運ばれてくるまで随分と待たされた。生ビールがうまかったことを除けば、空腹を満たすだけのような夕食だった。
 8月6日火曜日。最長片道切符の旅北海道版第2日。朝起きてみれば快晴である。とても爽やか。日中はともかく朝晩はエアコンが要らないというのはいかにも北海道らしくありがたい。
 今日は4っつの線区を乗り継ぎ最終的には岩見沢を目指す。まずは釧網本線。列車本数は少なくて、網走から釧路まで乗り通せる列車は日に5本しかない。そのうち最も早い1本で網走6時41分発釧路行き普通列車。2番線から1両のディーゼルカー。ワンマン運転。
 発車して間もなく海岸に出た。左窓がオホーツク海である。朝日がまぶしい。車内はまずまず混んでいる。大半が観光客のようだ。
 16分で北浜。海に最も近い駅として知られ、観光客に人気。ここの待合室にはまるで千社札のようにおびただしいほどの名刺が張られている。駅舎内にはカフェもある。二人連れの若い女性が降りた。しかし、ここで下車してしまうと次の列車まで4時間も間があるがどうするのだろう。
 次が原生花園。ここも色とりどりの花が咲き乱れていて人気の駅だが、この列車からは誰も降りなかった。
 左窓にばかり目がいきがちだが、右窓に目をやれば地面すれすれに沼が広がっている。濤沸湖である。それが延々10キロほども続いている。つまり、線路は海と湖の狭い間を縫うように走っているということになる。
 また、このあたりは、冬ならば流氷が見られる。他所では滅多に見られない風景で、釧網本線のハイライト区間である。
 やがて知床斜里。海岸線はここまで。乗客の大半が下車した。知床観光の玄関口である。今日の天候なら風もないし、知床岬を巡る観光船も運航されているのではないか。
 なお、ここ斜里町議会の議長は、かつて私が勤務していた会社のOBだった。体格のいい大きな人だったが今はどうしているか。
 左窓に斜里岳が遠望できる。1,547メートルあり、日本百名山の一つである。車両の窓が二重になっている。寒冷地仕様で、もちろん寒さを防ぐためのもの。厳冬期北海道の鉄道旅行で困るのは窓ガラスが水滴で凍り付いて景色が見えなくなること。布で拭いたくらいでは曇りは取れなくて、それで、私は台所用品である金属製のタワシを常に持参していた。これでごしごしやっていると、地元の人たちが苦笑いしたり感心したりしていたものだった。この頃ではそういう必要も感じないが、温暖化しているのだろうか。

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(写真2 畑の中にポツンと1軒の家。煙突が立ちしゃれたつくり)

 川湯温泉に向けて25‰の登り。車窓からはうかがい知れないが、右に屈斜路湖、左には摩周湖があるはず。摩周で乗降が多かった。大半は地元の人たち。ここから釧路川が右に並行してきた。標茶(しべちゃ)の次ぎに五十石という駅があったはずだがいつの間にか廃駅になっていた。それで次の茅沼までの間が大きく開き、駅間距離が14キロにも広がった。

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(写真3 釧路湿原を流れる川ではカヌー遊びが見られた)

 このあたりから釧路湿原に入っていて、塘路、細岡と茫漠として風景が広がる。冬季には運がよければタンチョウも見られる。しかし、夏のこの時分にはカヌーを楽しむ人たちの姿が見えた。塘路の駅前ではカヌーツアーのガイドが客待ちをしていた。また、ここにはユースホステルもあって、北海道旅行を楽しむ若者たちでにぎわっていたものだった。ツアーガイドに聞いたら、ユースホステルは今も営業しているとのこと。
 湿原を抜けると東釧路。根室本線との合流点で、釧網本線はここまでが線区。166.2キロ。ただし、全ての列車は次の釧路が発着。10時00分着。
 釧路は道東の中心となる大きな駅。乗り継ぐ次の列車まで1時間半ほどの間があり、遅い朝食と早い昼食を兼ねて駅前の和商市場へ。釧路随一のマーケットで、観光客の姿が多い。これも釧路名物のような〝勝手丼〟を食べた。まず初めにごはんをどんぶりに購入し、あちこちの店をのぞきながら好きな具を載せていくやり方。私は、イカ、タコ、カンパチ、牡丹エビでどんぶりを作った。新鮮な魚ばかりだからうまい。なお、大好物のシマアジを頼んだら、そんな魚は知らないと素っ気ない返事だった。
 釧路からは11時24分発特急スーパーおおぞら6号で根室本線をまずは新得へ。左窓の太平洋が荒れている。それにしても窓ガラスの汚れがひどくて、景色がよく見えないし、写真を撮ることもままならない。
 海岸線を離れると、広大な十勝平野へと分け入る。池田は十勝ワインで有名だが、かつてはここから北見との間を結ぶちほく高原鉄道が出ていた。冬の季節に乗ったことがあるが、どこまでも一面の雪原で、冬の北海道の厳しさを知ること以外は車窓はやや単調だった。
 十勝地方最大の都市帯広。やがて広大な貨物駅が見えてきて、おびただしいほどのコンテナが積まれていた。その中で本線に隣接するようにゲージの狭い線路がチラッと見えたが、あれは日本甜菜製糖の専用線の名残だったか。ちょうどこのあたりで列車が運転停車したから気がついた。

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(写真4 新得駅前にある〝火夫の像〟)

 そうこうして新得13時29分着。ここで石勝線が分岐しているのだが、私はあくまでも根室本線を行く。ただし、新得から東鹿越までの狩勝峠越えは災害のため不通となっており、代行バスが出ている。
 バス発車時間までの間に名物の新得そばで腹ごしらえ。真っ黒なそばでそば粉は7割の歩合だという。ややもそもそしていた。また、駅前にはいかにも鉄道の要衝らしく〝火夫の像〟があって、蒸気機関車時代の峠越の困難さがうかがい知れた。
 13時58分に発車したバスは、すぐに狩勝峠越えの登攀に入ったが、眼下には鉄道で日本三大車窓と呼ばれる雄大な風景が広がっていた。落合、幾寅と一つずつ鉄道駅をなぞりながらバスは進む。落合はまるで廃駅のようなたたずまいだったが、幾寅は、高倉健が主演した映画『鉄道員』で幌舞という駅名で舞台になっただけに観光客の姿も見えた。

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(写真5 映画『鉄道員』で幌舞駅として登場した幾寅駅)

 やがて東鹿越。ここでバスからの連絡を待っていた普通列車に乗り継ぎ。15時13分発。右窓にかなやま湖というダム湖が見えた。
 左に芦別岳を主峰とする夕張山地を眺めながら富良野盆地を進むとやがて富良野。北海道のへそと呼ばれる人気の観光地である。列車はそのまま根室本線を滝川まで進むが、私はここで富良野線に乗り換え。あくまでも最長距離を選ぶ。

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(写真6 富良野から乗った富良野・美瑛ノロッコ号)

 富良野からは富良野・美瑛ノロッコ4号という観光列車に乗った。窓が開け放たれており、風が通ってとても気持ちがいい。もちろん見晴らしもいい。右窓に十勝岳が見えている。その向こうは大雪山ということになる。富良野を出た時にははがらがらに空いていたが、進むほどに乗客が増えてきてついに美瑛で一杯になった。大げさでなく9割が中国人観光客だった。ラベンダー畑が人気のようだった。
 そうこうして旭川。17時46分着。新旭川からぐるっと道東と十勝を一回りしてきたようなものだ。私は函館本線に乗り換え、岩見沢に向かった。右窓にはもう夕陽が落ちかかっていた。こういうときが最も旅情をかき立てられセンチメンタルになる。18時59分着。岩見沢駅のホームには巨大な馬の木彫があった。農耕馬のようだが、馬産地なのであろう。
 結局、最長片道切符の旅北海道版第2日は、ほぼ12時間を超す乗車で、乗車距離は4線区571.0キロに及んだ。

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(写真7 岩見沢駅ホームに展示してある馬の巨大な木彫。ばんえい競馬の寄贈とある)
 
訂正 8月10日付最長片道切符の旅北海道版記事中、経路のうち網走(釧網本線169.1キロ)東釧路とあるのは、166.2キロの過ちでした。訂正してお詫び致します。