ABABA’s ノート

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映画『ニューヨーク公共図書館』

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(写真1 映画館で配布されていたパンフレットから引用)

巨大な知の殿堂

 ニューヨーク公共図書館(NYPL)の全貌を描いたドキュメンタリー映画。監督はドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン。
 冒頭、喧噪なニューヨークの五番街に面した列柱が特徴のボザール様式の重厚な建物が写し出される。これがNYPLである。まるで美術館かと見紛うようだ。
 エルヴィス・コステロへの長いインタビュー。この先も、この映画は様々な人物へのインタビューが挟まれていく。
 早朝の事務室。問い合わせの電話が入る。丁寧な対応だ。広いロビー。吹き抜けの高い天井。広い閲覧室。多数の来館者とまずはNYPLを概観していく。
 パブリック・ライブラリ(公共図書館)とはどういうことか。日本には馴染みのない言い方だが、これは市民に開かれた公共ではあるが、公立ではないということ。つまり、ニューヨーク市立図書館ではないということ。また、純然たる私立でもなく、映画では公民協働だと表現していた。運営費は行政が50%出資し、残りは寄付や民間からの出資だという。スポンサーとの会食の場面があったが、膨大な人数だった。
 とにかく巨大。88の分館があり、4つの研究図書館があって総数92。予算は、正確には聞き漏らしたが34億ドルだったか。
 各地の分館の活動が紹介されていく。就職ガイダンスがあり、パソコン講習があり、ところによっては舞台芸術に取り組んでいたり、黒人文化研究を専門にしているところもあり、ホームレス対策を真剣に議論している場面もあった。読書会ではおばさんたちがガルシア・マルケスに取り組んでいるのには驚いた。
 実に多様な活動で、これが図書館が行うアクティヴィティかと驚くようなことまで含まれている。基本的なコンセプトは〝図書館は本を置く場所ではない〟ということ。
 部内の様々なディスカッションの場面が頻繁に取り込まれている。Eブックへの要求が強いが、デジタル弱者をつくらないためにはどうするか。
 市当局は貸し出し数に注目しているが、人気本は市井でも手に入る。10年後に必要な本がここになくてどんな役割があるというのか。
 映画の時間は3時間25分。私は神田神保町の岩波ホールで観たが、途中に10分ほどの休憩を挟んでいたから4時間近いものとなった。
 然るに、なぜにこうも長い映画が必要だったのか。インタビューやディスカッションの場面が頻繁に挿入され延々と続いていて、映画の半分近くも占めているのではないか。これは、NYPLを描くと言いながら、実はニューヨークの今日的課題を一つひとつ丁寧に洗い出していたからではなかったか。これがワイズマンの狙いだったのだろう。それで、映画では〝NYPLは民主主義の柱だ〟とまで語っていた。
 映画の原題は、Ex Libris(エクス・リブリス)とあった。蔵書票という意味である。日本では蔵書票を日常的に使用する人は少ないようだが、アメリカでは、蔵書票を張ってまでも大事にしていたコレクションを図書館に寄贈するという習慣があるようだ。そういうことから蔵書票には知を継承していくという意味があるようだ。NYPLは1911年の設立以来カーネギーら市民の寄付によって成り立ってきた。寄付の中には蔵書票の張られたコレクションもあったに違いない。
 美術館では、寄贈者の名前が記されている場合にたびたび経験するが、図書館の書籍で蔵書票が張られたものに出会ったらそれはそれでうれしいのではないかと思われた。
 私はかつてこのNYPLを訪れたことがあるのだが、3階にあったメインリーディングルームの広さには感嘆したものだった。アメリカ人の好む比喩を使えば、何とフットボールの競技場の広さを持つ閲覧室なのだった。また、この映画でも取り上げられていたが、注目したのはレファレンスの充実ぶりで、世界中から研究者が訪れているということだった。映画では、研究者に対しアプローチの方法についてまでも助言していた。

 

<参考>

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(ニューヨーク公共図書館外観(上)と閲覧室の一つ(下)=2018年3月21日馬場撮影)