ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

三岐鉄道三岐線

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(写真1 三岐鉄道三岐線終着駅西藤原駅舎)

私鉄唯一のセメント輸送路線

 三岐鉄道は、三重県の北勢地域で三岐線と北勢線の二つの路線を運行するローカル私鉄。北勢線は西桑名から阿下喜を結び、一方、三岐線は、同じ近鉄沿線で桑名から10分弱南になる近鉄富田と西藤原の間を結んでいる路線。二つの路線は員弁川(いなべがわ)を挟んで大きくは並行している。
 北勢線を終点阿下喜で下車したあと三岐線に回るについては、いったん元に戻るのはいかにも芸がない。それで、阿下喜からタクシーを飛ばして三岐線の東藤原に移動した。これなら二つの路線を効率よく回れると読んだのだ。
 タクシーはあらかじめ予約しておいたのだが、乗ったタクシーの運転手は、阿下喜から西藤原へタクシーを利用する鉄道ファンはまれにあるが、東藤原に向かうのは何用か、と尋ねる。それで、セメントの積み出し駅である東藤原駅の状況を見たかったことと、新しい駅舎を見たかったのだと話したら、それはすごい、三岐鉄道をよく知っている本物の鉄道ファンだなどと感心していた。

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(写真2-3 写真上は東藤原駅の新駅舎。下は多数の貨車が留置されている構内)

 さて、その東藤原駅。言わばここが三岐鉄道発祥の地なのである。開業当初はこの東藤原駅が終点だった。そもそも三岐鉄道はセメント会社が創立したもので、現在も太平洋セメントが筆頭株主である。
 駅舎は、1年半前に完成したばかりのモダンなもの。赤煉瓦の外壁が美しい。旅客利用者が少ない駅だからもったいないほどだ。
 その分、貨物の利用が大半で、側線には多数の貨車が留置されていた。また、セメント工場への引き込み線も見られた。駅前にはセメント用ホッパー車であるホキ5700形貨車が展示保存されていた。なお、私鉄でセメント輸送を行っている路線はかつては多数存在したのだがいずれも撤退し、現在では三岐線が私鉄唯一のセメント輸送路線なのである。
 さて、東藤原から二駅戻り西藤原へ。三岐線の終点である。駅舎が面白い。蒸気機関車のような形をしている。真岡鐵道の真岡駅に似ているかも知れない。こういう駅舎を見ると鉄道旅行が楽しくなってくる。特に子どもたちにとってはそうではないか。また、ホームには1931年の三岐鉄道開業時のものらしい蒸気機関車が保存されていた。
 すぐに折り返したが、終点の近鉄富田が少々説明がいる。JRの富田駅と近鉄富田駅は数百メートル離れているだけ。開業当初は貨物輸送が念頭にあってJR富田駅での接続で運行されていた。それが、旅客の利便性向上のため近鉄線との間に連絡線を設けて1キロほど延伸し近鉄富田にくっつけて終点とした。
 西藤原から乗って来ると、終点の直前でJR線をいったん跨いで、貨物車両はそのまま直進しJRの富田駅に入るようだ。一方、旅客列車は戻るようにもう一度JR線を跨いで近鉄富田駅に入るという仕組み。JR線と近鉄線はクロスしているし、ゲージも違うのでこういう形になったものであろう。
 三岐鉄道は、そもそも三岐線だけの運行だったのだが、北勢線を近鉄が放棄するについて、地元沿線自治体は存続を模索し、第三セクターで存続会社を興そうとしたものの、鉄道に関するノウハウもないところから、近隣の三岐鉄道に運行を依頼したというのが経緯らしい。
 北勢線と三岐線と二つの路線がこれほど違うというのはそいう歴史があったのだった。もっとも、そういうことで、地元住民の足が確保されているばかりか、我々としてもナローゲージの鉄道が守られているのだからありがたい。

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(写真4 近鉄富田駅。右3番線が三岐線。左は近鉄線)