ABABA’s ノート

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養老鉄道養老線

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(写真1 桑名方面と揖斐方面の列車が同時に到着しにぎやかな大垣駅ホーム) 

岐阜から三重へ揖斐川右岸を縦断

 養老鉄道養老線は、岐阜県の揖斐駅と三重県の桑名駅間を結ぶ路線。全線57.5キロ。駅数は27。途中の大垣駅はスイッチバックとなっており、大垣で運転系統が変わり揖斐から桑名へ直通する列車はない。揖斐川の右岸を縦断しており、岐阜県から三重県に直通する唯一の鉄道路線でもある。1913年の開業と古いが、その後の経緯が複雑で、運営主体が8回も変わっている。しばらく近鉄養老線として運行されてきたが、2年前に現在の養老鉄道養老線となった。
 さて、大垣駅からスタート。5月10日。JR大垣駅の駅ビルを出ると右に並んで養老鉄道の大垣駅。改札を入ってわかったが、内部には乗り換え改札もあった。なお、養老線には自動改札はない。
 養老線大垣駅は1面2線のホーム。頭端式になっており、すべての列車はスイッチバックする。1番線が桑名方面、2番線が揖斐方面となっており、ここで運転系統が変わり揖斐から桑名へ直通する列車はないようだ。このようなこともあって、大垣-揖斐間を〝揖斐線〟、大垣-桑名間を〝養老線〟と通称する場合があるようだ。ただし、かつては名鉄にも揖斐線があったから、当時はどのように混用を避けていたものか。なお、養老線では大垣駅が断然乗降客数が多い。
 初めは揖斐へ。8時26分発揖斐行き。3両。どうやらすべての列車が3両編成のようだ。車両塗色は近鉄時代の名残か、やや赤みを帯びたマルーン。大垣を出るとまるで複線のように少しだけ両方向並んで走り、すぐに揖斐方面は右にカーブし一つ目の室。そして東海道線をくぐった。
 北神戸、広神戸と続く。神戸と書いてごうどと読むのは、ほかにわたらせ渓谷鉄道に神戸駅がある。列車は山塊に向かって走っており、沿線は田園地帯である。荒々しく削られた山が見える。採石場であろう。
 そうこうして終点の揖斐。8時51分着。片側1線のホームがある木造駅舎。貨物用に使用されていたものか、側線が残っていた。

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(写真2 終点揖斐駅外観)

 折り返して再び大垣。桑名行きにはしばらく間があり、ここでコーヒータイム。大垣城も近いがそこまでの余裕はない。
 9時46分の発車。桑名行き。やはり3両。ワンマン運転。発車してすぐに揖斐線とは左に別れた。とにかくよく揺れる。メモを取る字が乱れる。
 一つ目の西大垣では、右に車両基地があった。木造の改札があったりしてなかなか趣きが感じられる。車両基地には東急から移籍してきたような車両があった。波板のステンレス車両には特徴がある。
 続いて美濃青柳(みのやなぎ)。左にイビデンの工場が見えた。旧揖斐川電気工業で、当養老線の生みの親でもあった。
 乗っていてやっと気づいたが、この列車は日中のある時間帯はサイクルトレインになっているようだ。沿線にはサイクルロードも整備されているようだ。
 もう一つ遅ればせながら気づいたこと。車両の先頭とドア口に〝養老鉄道全通百周年〟の大きなステッカーが貼られていた。1919年(大正8年)4月27日は、養老鉄道が全通した日だったのである。
 さらにもう一つ。この養老線のゲージ(軌間)は1067ミリ。近鉄の大半の路線の1435ミリとは違う。1435ミリに改軌しようという動きもあったらしいが、大垣と桑名で接続するJRへの貨物輸送のウエートが小さくなくて、JRに合わせたまま1067ミリにしたままだったようだ。
 車窓に目をやると、ピンクに彩られた畑が延々と続く。草丈はせいぜい10センチほどか。シバザクラとも違う。それで、乗り合わせた80年配のお年寄りに伺ったら、レンゲだという。油にするのだとも。
 列車は養老山地を右に見ながら走っている。左の車窓では、住宅地がとても遠くに見える。揖斐川が間に流れているからだろう。それで地図を開いて確認したら、揖斐川と並んで途中から木曽川も流れているようで、広大な扇状域になっているようだ。この対岸は、名鉄の弥富に近いようだ。
 田植えはすでに終わったようで、遠くには送電線が林立しているのが見える。桑名が近づいて行き違い列車が増えた。
 そうこうして桑名到着。4番線。11時59分。桑名に入る直前、右から近鉄線が寄り添い、左にはJR線が迫ってきた。桑名はJRと近鉄、養老線が接続しているのである。改札は共通で、JR線のものだった。

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(写真3 全通100周年を迎えた記念のステッカー)