ABABA’s ノート

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大江健三郎『政治少年死す』

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『セヴンティーン』第二部

 『セヴンティーン』は1961年「文学界」1月号に発表され、続いて2月号に『政治少年死す』(セヴンティーン第二部)が発表された。大江健三郎26歳の頃で、大江はすでに23歳で芥川賞を受賞し、旺盛な執筆活動を行っていて最も注目される作家となっていた。
 私が『セヴンティーン』を初めて読んだのは1967年で、所収されていた「大江健三郎全作品3」(新潮社刊)で手にすることができた。当時、文学部の学生だった私の周囲では『セヴンティーン』がしばしば話題に上った。
 そして、当然のように続編である『政治少年死す』も取りざたされたが、これについては単行本に再録されることもなく読むことはかなわなかった。これは、当時、右翼団体の圧力があったからだとされていた。
 その後もどこかで上梓されることもあるかと思い随分と注視してきたが、なかなか目にすることもない状態が数十年も続いてきた。それが、昨年7月に刊行された「大江健三郎全小説3」に『セヴンティーン』と『政治少年死す』が揃って所収されてこのたびやっと目にすることができた。実に初出から57年ぶりのことである。
 それで、『セヴンティーン』と『政治少年死す』を続けて読んでみた。どちらも短篇である。
 『セヴンティーン』は、17歳の高校生が性をもてあまし、初め当然のように左翼に馴染んでいた者が次第に右傾化していく姿を赤裸々に描いていた。そして右翼団体皇道党に入党し《右》少年として確信していく。
 『政治少年死す』は、先鋭化する行動右翼として成長し、やがては決定的な行動に入らない皇道党すら脱党し、テロリズムに傾斜していく〝おれ〟が描かれている。そして、ついにセヴンティーンは暗殺を実行し、天皇よ、天皇よ!天皇よ!と叫んで自死する。
 ここに至ってこの小説が、日比谷公会堂で演説中の日本社会党委員長浅沼稲次郎を暗殺した山口二矢をモデルにしたことは明らかである。山口は17歳だった。
 『セヴンティーン』を初めて読んだときからすでに50年余も過ぎているし、馬齢も重ねた。同じ延長で感想があるはずもないが、『セヴンティーン』よりも『政治少年死す』に文章としては勢いがあるように感じられた。
 こんなことを書くと笑われるかも知れないが、『セヴンティーン』にも『政治少年死す』にも大江自身が投影されているように思えたし、特に『政治少年死す』には暗殺から自死に至る場面が実に詳細で、テロそのものを糾弾しつつも、どこかにセヴンティーンに感情移入しているようにすら感じられた。それにしても、『セヴンティーン』と『政治少年死す』は、大江の全小説において重要な位置を占めているのではないかと思われた。
 だからなおさらのこと、50数年ぶりの書籍化だが、当時の政治状況では躊躇もあったのだろうが、これほどの冷却期間をおく必要があったものかどうか、今にしてみればそっちの方が謎だ。
(講談社刊「大江健三郎全小説3」所収)