ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

復旧した旧山田線と沿線

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(写真1 復旧した第34閉伊川鉄橋を渡るリアス線列車)

8年目の被災地を訪ねて②

 陸前高田から被災地を北上してきて、釜石から宮古までは三陸鉄道に移管された旧山田線沿線。
 復旧までに8年を要したが、開通してみれば、鉄道の復活は沿線住民が熱望したものであり、復興へ大きな励みとなるに違いない。
 この区間は、震災直後から毎年通ったところ。当時の様子がありありと思い出されるが、鉄道と沿線はどのように変わってきたのか、改めてなぞってみた。

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(写真2 鵜住居駅付近に完成したラグビーワールドカップ会場)

 釜石を出ると、ほどなく鵜住居(うのすまい)。初めて現地に足を踏み入れたときには茫然としたものだった。壊滅していたのである。駅の跡を探しても見当たらなかったし、家の1軒も残っていなかった。
 現在は、立派な駅ができ、周辺には建物も建ってきている。ただ、公共施設が多いようで、一般の住宅は少ないようだった。高台には立派な小学校ができていたし、駅の近所にはラグビーワールドカップに向けて競技場がすでに完成していた。ラグビーの町釜石としてはワールドカップの成功によって復興を一層盛り上げたいところだ。

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(写真3と4 上は2011年5月の大槌、下は2019年3月の大槌=ほぼ同じ場所から撮影したもので、眼下奥が現在の大槌駅付近)

 鵜住居の次は大槌。ここも壊滅的被害が広域に及んだ。町長や町役場の幹部多数が津波にのみ込まれてしまった。
 復興を指揮する町幹部がいなかったのに、沿線自治体の中では復興は早かったのではなかったか。町を見下ろす高台に立つと、復興の様子が手に取るようにわかるようだった。
 駅が再建されたし、駅周辺の開発も進んでいて、新しい住宅街が形成されつつあった。大方の町では、公共施設がいち早く建っても、住宅にまで広がらないところが多いから、大槌の復興はとても特徴がある。
 高台に行くと、町役場や公民館ができていたし、眼下には大槌駅も見えて、町の中心になっている様子だった。

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(写真5と6 上はほぼ壊滅した2011年5月の山田と下は2019年3月開業したばかりの陸中山田駅)

 旧山田線と並行している国道45号線を走っていると、海沿いの町々はどこがひどい、どこが軽いということもなく、一様に津波にやられている。山田町も同様で、高台にあった役場はかろうじて被害を免れたが、近所にあったはずの陸中山田駅は流出した。
 新しい陸中山田駅は、旧駅から数百メートル移動したところに建てられた。とてもしゃれた駅舎で、山田町のコミュニティセンターも兼ねている。駅周辺には災害復興住宅や商店街も形成されつつあるようで、新しい町づくりの中心となる様子だった。

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(写真7 国道45号線沿いに延々と築かれた高さ10メートルもの防潮堤)

 国道沿いには、高さ10メートルほどの防潮堤が延々と築かれている。風光明媚な三陸海岸だが、当然、海は見えない。だから、どうだこうだということではないが。

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(写真8と9 上が津軽石付近を走る下り列車。下は新駅の矢木沢・宮古短大)

 陸中山田を出て豊間根の次が払川。この駅がなかなか見つからなかった。地元の人に尋ねても知らない人が多くて、軽トラックを運転していたお年寄り夫婦に先導してもらってやっとたどり着いた。復旧に合わせて開業した新駅なのである。住宅地のようだが、これからの発展を見込んでいるのだろう。
 さらに一つ津軽石を置いて矢木沢・宮古短大。ここも新駅。周辺は急速に進んできた住宅地のようだった。また、くだんの短大は丘の上に見えた。
 このあたりで宮古方面に向かう下り列車を見かけた。単行だが、鉄路を淡々と列車が進んでくる風景はいいものだ。

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(写真10 2011年5月橋桁が崩落した当時の第34閉伊川鉄橋)

 磯鶏を出ると、国道は直進していくが、線路は左に大きくカーブしながら第34閉伊川鉄橋を渡る。震災で崩落した橋梁である。ちょっと写真撮影のしにくい場所だが、震災の年から毎年この橋梁を観察してきた。それだけにこの橋を実際に列車が渡るのかと思うと感慨深いものがあった。
 橋を渡るともう宮古駅構内である。構内には三鉄の検修場があって、本社もあるし三鉄の中心駅の様子である。また、本屋とは反対側の駅に直結した複合ビルには宮古市役所も移転してきたようで、宮古が駅を中心に展開していく方向が察せられた。

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(写真11 宮古駅に直結した宮古市役所の入ったビル)