ABABA’s ノート

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戸定邸(千葉県松戸市)を訪ねて

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(写真1 戸定邸の茅葺き門)

水戸徳川家私邸

 戸定(とじょう)邸は、水戸徳川家の私邸。戸定とは当地の地名で、最後の水戸藩主となった徳川昭武が建てた。昭武は齊昭の十八男で、最後の将軍慶喜は齊昭七男で、昭武の兄にあたる。昭武は隠居後この戸定邸を住まいとしていたという。
 まだ浅いとはいいながら春の陽光を選んで戸定邸を訪ねた。JR松戸駅から徒歩10分ほど。やさしい丘の上にあった。

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(写真2 植栽越しに見た戸定邸玄関。梅の花が美しい)

 門構えからは見当もつかなかったが、邸内はものすごく広い。維新後のこと、徳川家の屋敷とはいえ規模は小さなものとなっているようだが、それでも9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23を数える。明治期の徳川家の住まいとしてほぼ完全に残る唯一のものといい、国の重要文化財に指定されている。
 表座敷、中座敷、奥座敷、離座敷などが廊下で連なっていて、戻るのにまごつくようだった。
 表座敷から見た庭園が素晴らしい。美しい芝生が広がっているのだが、それで、この庭は往時のものではないと一瞬勘違いをしたのだが、洋風技法による芝生面は我が国現存最古のものだという。この庭園は国の名勝に指定されている。
 この庭からは、江戸川を眼下に、遠く富士山も望めるというが、この日は快晴ではあったが残念ながら見えなかった。
 ところで、敷地内には戸定歴史館という博物館があって、この日は「プリンス・トクガワ~華麗なる人脈」と題する展示会が開かれていた。
 昭武は、将軍名代として1867年のパリ万博に参加している。欧州各国も巡遊していて、この折の各国元首との交際の様子が詳しく展示されていた。ここで、将軍名代とは、ゆくゆくは慶喜の跡を継いで第十六代将軍も視野に入れられていたということらしい。年号から察すると、昭武は幕府が瓦解し維新後帰国したということになる。
 面白かったのは慶喜から昭武に宛てた手紙。メモのようなものだったからであろうか、文末の書名が〝けいき〟と平仮名で書かれていた。日頃我々は〝けいき〟と親しみを込めて通称することが少なくないが、まさか本人がそのように名乗っていたとは知らなかった。弟への気安さもあったものかも知れない。慶喜と昭武は兄弟仲が良かったらしい。
 一方、昭武の次男武定が松戸徳川家を興している。戸定邸に生まれており、子爵を授爵している。興味深いのはその経歴。東大の造船学科を卒業し工学博士の学位まで授与されている。東大教授の傍ら、海軍技術中将に昇進し海軍技術研究所長となっている。
 技研に関する文献で調べてみたら、武定が所長だった頃、技研では被覆アーク溶接棒の研究を行ったとあり、武定は潜水艦の設計が専門だったようだが、溶接棒の研究にも関心を持っていたのかも知れない。もっともこのことは私個人の関心だが。

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(写真3 庭から見た戸定邸。正面は表座敷。広い芝生の庭が素晴らしい)