ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

旧久木野駅跡のヨ8955

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(写真1 旧久木野駅跡に保存されているヨ8955)

九州の車掌車を訪ねて④

 肥薩おれんじ鉄道水俣駅から、水俣市のコミュニティバスみなくるバスに乗って山間へと分け入ること約50分、愛林館前下車。
 ここは、水俣市久木野ふるさとセンターで、農産物加工などを学ぶ宿泊研修施設であり、地元の素材のみで作った菓子や料理が評判だ。
 この愛林館前に据えられていたのが車掌車。実は、ここは、かつての山野線の久木野駅があったところで、この前の道路にかつて線路が敷かれていたらしい。
 現在は、ホームに模した台があり、ヨ8000形車掌車ヨ8955が展示されていた。塗装に経年変化は見られるもののおおむね良好に保存されており、内部もきちんと清掃が行き届いていた。ヨ8000形らしく、トイレも付いている。製造銘板には三菱重工昭和53年とあった。またここには、信号機や転轍機などの設備も保存されていた。久木野駅跡の石碑があった。

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(写真2 久木野駅跡の石碑)

 山野線は、水俣駅から肥薩線の栗野駅を結んでいた全線55.7キロの路線で、久木野駅は水俣から四つ目、この先にはループ線があり、熊本-鹿児島県境越えとなっていた。1988年の廃線で、そうなると、この車掌車は廃線になるわずか10年前の製造ということになる。
 愛林館の沢野亨館長にお話を伺ったら、ご自身若いころは鉄道ファンで、国鉄全線踏破を目指していたころもあったという。ループ跡も近いところから廃線派が時々訪ねてくるが、車掌車を見に来た者は初めてだったと苦笑いしていた。
 なお、周辺を歩いてみたら、明治10年西南戦争激戦地の立て札があって、往時を偲ばせた。また、バスの待合所は、久木野駅前バス停と往時のままとなっており、のどかな山間の集落はどこか時間がゆったりと流れているように思わせられた。

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(写真3 水俣市久木野ふるさとセンター愛林館)