ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

ポム死す

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(写真1 在りし日のポム。2007年)

スコティッシュホールド18歳

 我が家の愛猫ポムが7日夜8時20分死んだ。2001年3月1日生まれだから、17歳と9ヶ月だった。猫としては長生きだったのだろう、人間に換算すると86歳くらいだったらしい。
 この一か月くらい少しずつ老いがはっきりしてきていて、時折持ち直すこともあったものの、この四、五日は食欲も衰え、足もともおぼつかなくなっていたし、最後には水さえ飲まなくなっていた。家内に抱かれて大きな声で叫んだのが最後だった。
 ポムちゃんは、丸い顔で、まるでりんごのようだということで娘がフランス語でりんごを意味するポムと名づけたのだった。
 黒と白の毛並みで、すべすべとしていた。スコティッシュホールドの特徴らしいが耳が小さく尻尾が太かった。
 眼が愛くるしく、温和で寝てばかりいた。運動は苦手で、引っ掻きもしなかった。小さいころ、猫だから上手に着地するのだろうと放り投げたらどさっと落ちて、それ以来しばらく私にはなつかなかった。
 生まれて間もなく我が家に引き取られたが、家族みんなで可愛がった。我が家に来たころはあまりにも小さくて、丈夫に育つのだろうかと心配もしたが、大事に育てたから順調に育った。体重は最も大きかったころで2.7キロ、亡くなる直前は1.5キロだった。
 跳んだりはねたりもしないし無芸だったが、撫でると喜んだし、愛玩にはとても良かった。

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(写真2 お気に入りの出窓で。2012年)

 生来小食で、キャットフードだけを与えていたし、大きくなってからは鰹節も加えた。定期検診は毎年行っていたし、病気になって寝込むようなこともなくて、ペットクリニックの先生によると心臓が強いのだということだった。ただ一度、2007年の夏に熱中症にかかった。この時はぜいぜいして苦しそうにしていたが、クリニックに駆け込んで何とか事なきを得た。
 とにかく愛くるしくて家内、二人の娘はことのほか可愛がった。
 その二人の娘が続けて嫁ぐと、家内の生活はポムちゃん中心になった。とにかく溺愛していた。二十日に一度くらいの頻度で風呂に入れ、耳かきをし、爪切りをしていた。体は毎日ぬるい湯に浸したタオルで拭いてあげていた。言葉が通じるのか、家内はポムちゃんとばかり話をしていた。何しろ、亭主は寝るときくらいしか帰ってこなかったのだから。冬には湯たんぽまで入れていた。
 二人の娘が嫁いでしまうと、ポムちゃんをひとりで留守にさせるのが恐かったようで、だから、夫婦でそろって旅行に出掛けることはしなくなった。
 ここ数年、退職後は毎日家にいるようになると、ポムちゃんもやっと少しずつ私にもなついてきた。鰹節を欲しいときには私にせがむようになった。食欲が失せてきていて、血合いなどまったくない最高級の鰹節を少しだけ食べた。
 孫が遊びに来ると、追いかけられるのが嫌いで、隅っこに隠れていた。ただ、それも終いには、孫たちが寄っても逃げなくなっていた。体力、気力ともに衰えていたのだろう。
 この一か月ほど子どもたちも孫を連れて見舞いに来てくれていたが、寝込むようなこともなかったから逆にそれが突然の死となった。唐突にさえ思えた。苦しまなかったのがせめてものことだった。
 亡くなって、二人の娘も帰ってきて、火葬をし葬儀を行ってみんなでポムちゃんを見送った。親しい家族を失うようなことはここしばらく我が家ではなかったから、みんなで泣いた。
 特に、何しろ18年も一緒に暮らしてきたわけだから、家内の悲嘆は大きくて、かける言葉さえ見つからなかったし、喪失感が強いようでふさぎ込んでいる。家内にとってはポムちゃんが生活の励みになっていたから、私にその代わりができるものかどうか。娘たちが帰りしな、「(母を)しっかり頼むわよ」と声をかけていったが、自分自身納得したから大きくうなずいた。
 晩年は、二人揃っての旅行はあきらめてきたが、これからはそういうこともできると前向きに考えて暮らしていこう。

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(写真3 家内に抱かれて最後の写真。2018年11月3日)