ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

島原鉄道

 

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(写真1 諫早駅で発車を待つ島原鉄道列車。左はJR線ホーム)

思い出も途切れて

 松浦鉄道伊万里線に乗ったあとは長崎に泊まり、翌日は島原鉄道に乗った。
 島原鉄道は、空豆のような形をした島原半島を有明海に沿って時計回りに北岸から東岸へと三分の一周ほど走る路線で、諫早駅から島原外港駅間43.2キロを結んでいる。駅数は23。
 長崎を早朝に出て諫早駅に降り立つと真新しい駅舎。8月に開業したばかりだという。随分と久しぶりだが立派になった。
 島原鉄道は駅ビルの1階に事務所と改札口があり、現在は一部工事中だったが、改札からホームへは一直線につながるらしい。すぐ隣はJRの線路である。
 片側1線のホームに2両のディーゼルカーが出発を待っていた。11月29日7時17分発。黄色い車体。登校中の高校生で満員。
 ちょっとわかりにくいが、いったん長崎方面にほんの少しだけ走ってすぐに離れ左にカーブした。小雨模様。この先の旅程を考えると一番降って欲しくなかった日に小雨とはいえ雨になってしまった。晴れ男の面目はどこへ行ったのか。
 一つ目の本諫早で満員だった高校生の大半がごっそり降りた。駅名から察するとここが諫早の中心か。かつて諫早は鰻がおいしいことで知られていたが、現在でもそうか。
 森山で列車交換。単線なのである。この先でも愛野、神代町などと行き違いのための列車交換が行われた。一般的にはあまり好まれることではないのだろうが、私はこの行き違い列車の交換のための停車が嫌いではない。否応なくのんびりした時間が得られることは貴重で、ホームに降りて背伸びしたりするのも好きだ。
 古部(こべ)に至って海に面した。大きくは有明海だが、細かく見ればこのあたりはまだ諫早湾というあたりだろう。ホームは波打ち際にあり、遠浅の磯が広がっている。対岸には経ヶ岳がかすかに遠望できる。

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(写真2 日本で最も海に近いホーム大三東駅)

 しばらくして大三東(おおみさき)。ここはもう島原湾か。古部で驚いていてはいけない。ここが日本で最も海に近い駅であろう。干潟が広がっているから緊張感にはやや欠けるが、ホームのすぐ下は海である。ホームにはベンチが一脚。しかもびっくりさせられるのはホームには柵も何もないのである。よろめいたら海に落ちかねない。

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(写真3 車中から島原城と雲仙岳を望む)

 そうこうして島原。もとより島原の中心で、島原城とその向こうに雲がかかってはいるが雲仙岳が見える。美しい町だが今日は下車しない。
 島鉄本社前、南島原と続いて島原外港。現在の島原鉄道はここまで。かつては加津佐まで島原半島を半周するように鉄路は伸びていたものだが、ちょうど10年前になるか、2008年に島原外港-加津佐間が廃止になった。廃線前は全線78.5キロだったから、半分ほどに縮まったことになる。ホームで観察してみたら、線路は加津佐方面にずっと先まで伸びているように見えていたが、どのようになっているものか。
 私にはこの島原鉄道はとても思い出深い路線。日本の全鉄道全線を完全踏破した最後の路線がこの島原鉄道だったのである。もう10年以上前にもなるが、2007年11月3日加津佐駅に降り立った、この瞬間に、JRも私鉄も第三セクターも地下鉄も新都市交通も路面電車もそれこそケーブルカーも含めて全鉄道を制覇したのだった。これより前、留萌本線増毛駅でJR全線を完乗した2003年7月17日から4年の月日が経っていた。なお、JRはその後全2周を果たしている。
 うれしかったのは、普段は鉄道に乗ってばかりの旅はつまらないといって敬遠がちだった家内が、増毛駅の時も加津佐駅の時も、この時ばかりは自分から「一緒に行ってあげる」と言ってくれたことだった。

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(参考=日本全国全鉄道全線完乗達成の記念写真=2007年11月3日島原鉄道加津佐駅で)