ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『銃』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

現代の狂気を描く

 主人公は大学生西川。雨の荒川河川敷で、男の死体の傍に落ちていた拳銃を拾う。アパートに持ち帰って、ためつすがめつしながら拳銃を持っていると喜びを感じるようになっていく。誰かを殺すことを目的に作られた拳銃の造形の美しさに惹かれていく。
 初めは、アパートに隠していたが、そのうち持ち歩くようになる。そうすると、高揚してきて男らしい颯爽とした歩き方になるのだった。
 近所の公園で、動けないでいる猫を見つけると、顔に至近距離から2発撃ち込む。駆け足で現場を離れるが、興奮が冷めやらない。
 ある日刑事が訪ねてきて、拳銃を拾ったこと、猫を的に試し打ちをしてみたことなどを指摘する。あまりにも平然とした受け答えに、刑事はかえって西川の犯行を確信するが、証拠は何もない。ただ、刑事は西川に「次は人間を撃ってみたいのではないか」と指摘する。また、刑事は今のうちに拳銃を分解して捨ててしまえとも。
 しかし、拳銃に取り憑かれた西川は、誰かを殺さなければという強迫観念に追われていく。
 西川は、初め友人たちともそつなくつき合っていて屈託はなそうにも見えたが、拳銃を拾って人間が変わっていったようだ。深層に潜んでいた狂気がもたげてきたようで、つき合っていた二人の女子学生にもどちらからも「変態だ」といって逃げられてしまう始末。
 このように映画は、外見はおとなしそうな現代の若者を描いていて、しかし、その表情の下に潜む凶暴で残酷な姿をあぶり出している。また、西川の刻々と変化する心情をとらえていて目をそらすことのできないたぐいまれな心理劇となっていた。とくに、「もう少しなんだけどな」とうそぶいたラストシーンは複雑な印象を与えていた。
 ただ、一昔前であれば、若者を描くと、自己疎外とか不条理とかいうのが常套句だったが、この映画ではやはり新時代なのであろう、狂気や変態に移っていて、大変恐いものだった。
 また、映画はモノラルで、観ていて緊迫があって面白いし違和感はなかったが、光と影の描写に印象深いところが少なく、これではフィルムノワールということでもなさそうだし、積極的な意味を見いだせなかった。さらに言えば、同じ狂気や変態を描くにしても、かつてなら意識下のモンタージュなどの映画手法もあったのに、今日には新しい映画言語は生まれていないのだろうか。
 原作は中村文則の同名小説。デビュー作であり、新潮新人賞を受賞した作品だが、同じ原作者の作品ということで後年の『掏摸』に比べると、原作者の特徴であるディテールの積み上げが弱く、映画に寄り添う感動が薄かった。監督武正晴。