ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

植本一子『フェルメール』

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独特の写真紀行

 ずばりとした書名だが、内容はフェルメールに関するガイド本でも画集でもないのでまずは念のため。
 著者は写真家。傍ら執筆も手がけるという様子。34歳。出版社の依頼でフェルメールの全作品を写真に撮ることになり、世界各地に散らばっているフェルメール作品を探し求めて旅をした写真アルバムであり紀行文。
 何しろ、著者はフェルメールの研究者でもファンですらなく、フェルメールについてほとんど知らなかったというから驚くが、まずは全点撮影へと旅立つ。巡るのは7カ国14都市17の美術館。
 フェルメール作品全点踏破の旅ということでは、ジャーナリストでフェルメールに関する著作も多い朽木ゆり子の『フェルメール全点踏破の旅』(集英社)や作家で自他共に認めるフェルメールファンである有吉玉青の『恋するフェルメール』(白水社)などとあるが、本書はそのいずれとも系譜がまったく違う。
 まず、写真について。著者は写真家。ただ、ちょっと変わった写真観があってスタンスが独特。持参したカメラがわざわざフィルムカメラ。著者自身この頃ではフィルムカメラを使うことはほとんどなくなったというのに、やり直しの利かない緊張感を持ちたいという理由でフィルムカメラにしたということ。それなのに感度の低いフィルムばかり持参したため、手ぶれが心配になったと悩んでいた。およそプロにあるまじき段取りだ。しかも、美術館で額縁に入っている絵を写したという経験もなかったと言うから大胆だ。
 しかし、本書に掲載されている写真は素晴らしい。さすがと言うべき。しかもコンセプトが面白い。版元と話し合って行ったことだろうが、額縁に納まっている絵を忠実に収めているのではないのである。美術館の様子、それも、額縁が掛かっている壁の色、床のカーペット、額縁の高さまでもがわかるようになっているし、フェルメール作品の前にたたずむ人々までも写っているのである。時には美術館のある町の風景も載せてあるという具合。
 だから、読者は、まるで自分がフェルメール作品を見るための旅を行っているという感覚に導かれる。これはいい。これまでの美術館紀行とは違った趣きが感じられる。
 違うということでは文章もそうだ。版元からは、写真撮影のみならず、紀行文の執筆も当初から依頼されていたらしい。
 これを著者は日記体の要領で記述している。紀行文というよりも日記帳という様子だが、これが、行動の記録のみならず、著者の心情やフェルメールに対する率直な感想にまで及んでいてとても生き生きとしていて面白い。作家が書く文章とはまた違った味わいがあるのである。
 面白いのは、旅が続くにつれて著者の心の動きがわかることだし、初め、フェルメール作品など目の当たりにしたこともなかったというのに、毎日毎日フェルメール作品を見ていると感覚が研ぎ澄まされていくようで、特にそこは写真家だから美術評論家とは違った鋭い感想があってうならされることたびたびだった。
 著者はこのたびの撮影行についてどうやら一つの考えを持っていたようで、それは「どんな撮影でもなるべくフラットな状態の自分で臨みたい」ということだし、「日本にいる間、少しはフェルメールの勉強をしておこうとしたものの、結局ほとんど何も調べなかった。その方がいいと思ったのだった」と。
 しかも、いくつも見て歩いているうちにフェルメールの神髄に近づいているようなのだ。
 「改めて今、自分の目で本物を見ているのだと実感する。細部はそこまで描き込んでいないのに、引いて見るとまるで写真のように見えるのはなぜだろう。窓から入る光をいつも丹念に描いているが、それがフェルメールの全てとも言える気がする。」
 また、館内で出くわした日本人ガイドの説明を何げなく聞いていると興味深かったと言いながら、「ただ、勉強にはなるが、知識や情報が入るほど、自分が絵を見てどう思うか、どう感じるか、という部分が抜けていくような気がした。正解がわかったら、それ以外のものは選びづらくなってしまう。今回は正解を導くことではなく、フェルメールと自分の関わり方を模索する、それだけを何より大切にしようと思ったのだ。」と述べている。この姿勢は大賛成だ。
(共同発行=ブルーシープ+ナナロク社)