(写真1 つるべ落としに日が落ちる秋の夕暮れ)
早朝もいい秋
「秋は夕暮れ」と『枕草子』にあるが、我が家の周辺には、地平線も見えないし、山の端も近くないから清少納言が詠んだような情景は得られにくい。
しかも、夕方、散歩に出たときには陽はまだ高いところにあったのに、秋の日はつるべ落としで、帰り道にはすっかり陰ってしまう。だから、散歩には必ずカメラを携えていくのだが、なかなかシャッターチャンスに恵まれない。ましてや、夕陽の空に烏が三つ四つ、二つ三つなど急ぐ様は得にくい。ただ、烏の鳴き声だけは聞こえてくるから、なるほど秋の夕暮れのあわれは感じる。
(写真2 薄暗くなってきた街角の明かり)
それよりも、明かりの灯りはじめた街角で、人々が忙しく行き交う姿こそ秋も深まってきたことをうかがわせて何かわびしい思いに至る。
私の散歩は朝夕に出掛けていて、朝は5時半には家を飛び出す。まだ薄暗くて、ちょうど東の空が赤く染まりだしたころで、10分も歩いていると明るんでくる。
清少納言は「春はあけぼの」といい、「冬は早朝」と書いたが、秋の夜明けもとても美しく、夏とは違った風情が感じられる。
面白いのは行き違った人たちとの挨拶で、早朝の散歩ではいつも見かけている人が多いからお互いに声を掛け合うのだが、これが夕方になると、知っている人とはともかく、すれ違っただけの関係では声をかけることの方が少ないようだ。
ここで、唐突に、武田泰淳の書名になっている「秋風秋雨人を愁殺す」という言葉を思い出した。何の脈略もないことだし内容とは無関係なことだが、秋はやはりどこかでうれいを感じさせるのであろう。
(写真3 夜が明けてきた東の空)