ABABA’s ノート

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映画『1987、ある闘いの真実』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

韓国民主化事件描く

 1987年。1月14日、ソウル大生パク・ジョンチョル(朴 鍾哲)は、反政府活動により公安警察に連行され、拷問により死亡する。警察は取調中に心臓麻痺で死亡したと発表。
 司法解剖もせず、家族に面会もさせず、強引に火葬してしまおうとする警察に対し不審を抱いた検察は、警察と対立しながらも職権を持って解剖を執行する。
 しかし、くだんの検察官は政府の圧力により解職されてしまうが、真実を闇に葬ろうとする警察に反発し、解剖鑑定書を意図的にリークする。その解剖鑑定書を入手した東亜日報は、死因をすっぱ抜き、警察の所行を白日の下にさらけ出す。
 この事件を契機に民主化を求める運動は大きく高揚していき、6月9日、デモを指導していた延世大生イ・ハンニョル(李 韓烈)は警察が発砲した催涙弾を後頭部に受け死亡。ついに民主化運動は頂点に達する。
 映画で、この運動の盛り上がりの象徴的と言えるシーンは、ソウルの中心部市庁から繁華街南大門にかけて埋め尽くした民衆のデモの様子だった。その数100万人は超しているのではないか。このシーンは、当時の記録映像だったのか、映画のためにエキストラを集めたものだったのか、私には判断がつきかねたが、東京でいえば、都庁から新宿を歌舞伎町あたりまでデモの参加者で溢れたようなもので、意味深いものだった。
 この一連の運動は、韓国でいう6月民主抗争と呼ばれるもので、ついに民主化宣言がなされ、チョン・ドゥファン(全斗煥)軍部独裁政権が行き詰まったのだった。
 思い起こせば、チョン大統領は、1980年の光州事件あたりから登場しており、この7年間は徹底した弾圧の歴史だったのだ。
 光州事件は韓国民主化の発火点だったとも言えるわけで、6月抗争の原動力となったと見ることができる。
 そう言えば、映画の中でイ・ハンニョルが学内で学生たちを集め、光州事件を学習している場面があったが、これは二つの事件の連動性に気づかされるとともに、若い学生たちにしてみれば7年前の光州事件はもはや過去のものということだったのだろう。
 この映画は2017年の製作で、日本では9月に公開されたばかりだが、これより前、光州事件を描いた映画『タクシー運転手』が大ヒットしていて、民主化運動を取り上げた映画が2017年に相次いで製作され、いずれも大きな反響を呼んでいたことはどのように受け止めればいいのであろうか。
 私が初めて韓国を訪れたのは1975年で、ソウルでは夜間外出禁止令が出されていたし、大きな道路の交差点には機関銃が据えられていたし、戦闘機が離発着できる滑走路にいつでも転用できるよう高速道路に中央分離帯は設けられていなかった。
 その後も、私は毎年一度以上は韓国を訪れ、漢江の奇跡と呼ばれた経済成長を間近に体験してきたが、近年では、出張で数日滞在しただけの者には、もはや、北の脅威は街角には見当たらなかったのだった。

 なお、映画の終わりの字幕に、〝烈士〟の名前が掲げられていて、この中にパク・ジョンチョル(朴 鍾哲)とイ・ハンニョル(李 韓烈)の名前もあった。
 烈士とは、革命などに殉じた志士をさすが、この両名も韓国では烈士に列せられているということだろう。

 監督チャン・ジュナン。