ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

韓国映画『タクシー運転手』

f:id:shashosha70:20180919110949j:plain

(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

光州事件を描く

 2017年の韓国映画である。監督チャン・フン。
 日本で光州事件として知られる、1980年のいわゆる韓国の「5.18民主化運動」が正面から取り上げられている。
 パク・チョンヒ(朴正熙)大統領が暗殺されるやチョン・ドゥファン(全斗煥)率いる軍部がクーデターによって政権を掌握、戒厳令を敷いた。
 映画は、戒厳令に反対し民主化を求める学生デモで渋滞するソウルの街路から始まる。
 このさなか、ドイツ人記者ピーターはタクシーで光州へ向かう。タクシーは高額の報酬につられた個人営業のキム・マンソブ。民主化運動が激化していると伝えられている光州の取材が目的だった。なお、光州は朝鮮半島の南西部、全羅南道に位置する中心都市。
 光州が近づくと幹線道路ばかりか田舎道をも封鎖されている。厳しい検問を機転でかいくぐりタクシーは光州に入る。
 そこで目にしたものは、次第にエスカレートするデモと弾圧を強める軍部との激しい衝突で、デモには学生のみならず市民も加わって市街中心の大通りを埋め尽くす規模に発展していた。また、軍部の弾圧も激しさを増し、市民に向けて発砲する無差別な殺戮へと展開していた。
 街頭でカメラを回す記者の取材は軍部の目の付けるところとなり、命さえ狙われるようになっていった。
 初め、報酬のことしか頭になかった運転手も、次第に軍部の非道な仕打ちに憤り、この実態を全世界に発信していくよう記者に協力する姿勢に転じていった。
 しかし、光州を脱出することは至難なこととなっていくが、タクシー仲間らの協力によってソウルへと戻ることとなった。
 初めユーモア混じりだった映画は光州に入って一挙に緊迫の度を高めていった。光州市内は市民らが掌握して秩序が保たれ、ある種のコミューンのような様相だったのだが、暴動の拡大を恐れた軍部の弾圧は次第に激しくなり、市街はまるで戦場のごとき有様だった。
 暴挙を世界に向けた発信しようとする記者でさえ、周りの市民が次々と凶弾に倒れていくと無力感に襲われていた。
 この映画は実話を元に構成されているようだが、まるでドキュメンタリー映画を観るような迫力で凄まじいものだった。市民を標的にする武力の行使には震撼とさせられた。
 暴動の拡大を恐れた軍部によって光州は完全に封鎖されていた。道路の封鎖ばかりか、新聞を検閲し、テレビを統制していた。新聞は小さな記事をのぞいてほぼ真っ白な紙面だったし、テレビから流れてくるニュースは実態とかけ離れたものだった。また、軍部が最も恐れたことは、光州の状況が光州市外へ拡散することだった。ソウルで行われていたデモは、学生たちが行っていた整然としたもので、これで光州の騒乱を想像することは不可能だった。
 この映画の副題は、「約束は海を越えて」というもの。光州の市民たちがこの実態を何とか世界に発信して欲しいと記者に託したことだったのだ。記者を乗せたタクシーが光州を脱出できるよう市民が命をかけてまで協力していくのだった。
 終わり近く、封鎖を突破したタクシーを軍部の車両が追いかける場面では、タクシー仲間が協力して追撃を阻止したのだった。
 脱出したドイツ人記者は東京に戻り、ニュース映像を発信して光州事件は世界の知られるところとなった。
 これほど緊迫感の高い映画は稀なこと。凄まじまでの演出だ。活劇ではないからかえってリアリティが迫ってくる。
 光州事件は韓国ではこれまでその全容が知られるところではなかったらしい。その韓国でこのような映画が作られたことの背景と意味は大きいのではないか。
 2017年夏の公開から韓国では実に1200万人の観客動員を記録したという。それは、この映画が史実に基づいた内容であったということと同時に、人の温かみを感じさせる面白い映画だったということに他ならない。
 韓国での公開と同時にドイツやアメリカでも公開され評判になったという。また、香港や台湾でもいち早く公開されたが、中国ではこの映画の公開は禁じられているという。それは天安門事件を彷彿とさせるからであろう。
 日本での公開は、今年2018年4月。韓国での公開から8ヶ月も経っている。これほど面白い映画を配給会社は見逃していたのだろうか。まさかそれ以外の意図はないだろうが。何かを忖度したということでなければ良いが。
 私はこのたび、この映画を、日頃から名画を選りすぐって上映している飯田橋ギンレイホールで観た。平日だったのだが、200席のホールが満員だった。