ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

池内紀・松本典久編『読鉄全書』

 

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鉄道ものアンソロジー

 タイトルが断然いい。読鉄(よみてつ)とはふるっている。鉄道趣味世界も幅は広くて、鉄道の写真撮影を趣味とする撮鉄(撮り鉄)、鉄道に乗っていることが楽しい乗鉄(乗り鉄)から車両派や廃線派などとあってそれぞれに一派一家を構えているが、読鉄というカテゴリーはこれまでなかったのではないか。私も、鉄道紀行に限らず、小説でも鉄道の情景が出てくるだけでうれしくなるから読鉄ではあるだろう。
 鉄道紀行や、鉄道の場面が出てくるエッセイなどを集めたアンソロジーである。それも、内田百閒や阿川弘之、宮脇俊三といった鉄道ものの泰斗から、吉田健一、小林秀雄、五木寛之、伊丹十三などと実に多彩な顔ぶれ。41本50編が収められている。
 全編に通じているのは、鉄道好きには名だたる文章家が多く、鉄道を書くと皆さん筆が走るようだということ。
 だから例示するに枚挙にいとまがないのだが、一つ二つ引いてみよう。
 南伸坊の「へんな「鉄道好き」(2017)に面白い下りがある。
 「お座敷列車というのに乗ったことはないけれども、私の理想の座敷列車は、夜になったら押し入れから、ふとんを出して畳に敷いて寝るようなお座敷列車だ。障子をあけなければ、ただの旅館の部屋みたいになっているのが理想。最近出来た豪華和風寝台車みたいなのより、ほとんど旅館の部屋。……。旅館の部屋そのまんまの空間が、じつは猛スピードで疾走している。」
 続けて、「そういえば、鉄道好きの友人、関川夏央は貨物列車の最後尾についているあの車掌車の車両、あれを仕事部屋にしたい……だったか、いやあの車掌の部屋に住みたいだったかと書いていた。似てる気もするけど全然違うかな。」
  とあって、私も断然同意できる。貨物列車の最後尾に車掌車を連結してもらい、貨物列車の行くところそのままにふらりふらりと旅をするのが私の理想であって、これぞ究極の移動書斎だろうし、読鉄の世界だろう。
 沢野ひとしの「夜のしじまの中で聞いた夏の汽笛——白山郷まで」がいい。この人の文章はいつでもしじみとしている。
 中国でふとしたことで知り合った女性の生まれ故郷を訪ねて内蒙古(モンゴル)のハイラル(海拉爾)を訪ねた話。
 「旅はまだ見たことのない風景への憧憬、新たな美との出会いが大切かも知れないが、人とのふれあいもないと、ただの色褪せた写真のような風景の中で終わってしまうものだ。……。たとえ何もない寒々しい荒涼たる風景の地であっても、愛する人と旅をすれば輝いて見えるものだ。」
 「列車の旅は旅情を誘う。森や海や山や川を渡っても、ポツンと小さな人家を見ても、それだけで和み、また切なくなる。
 地平線の見える大地が延々と続いている。この大地に赤い夕陽がぶるぶると音をたてるように落ちてゆくのだ。」
(東京書籍刊)