ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』

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(写真1 『刑務所のリタ・ヘイワース』所収の「ゴールデンボーイ」)

映画『ショーシャンクの空』原作

 アメリカ映画『ショーシャンクの空』をテレビで見たところとてもいい映画で味わい深かったので原作を手に取った。すでに原作を読んでいた映画を観ることはたびたびあるものの、映画を観てから原作が読みたくなるということは私の場合はまれ。
 妻とその愛人を殺した罪で終身刑となったアンディ・デュフレーンがショーシャンク刑務所に入所してきた。この時30歳。身だしなみがよく、金縁メガネをかけ、爪はいつも短く切ってあった。ポートランドの大銀行の副頭取で、信託部門の責任者。若くしてすごい出世だった。
 物語は、やはり終身刑で服役中のレッドの語りで進む。レッドはすでに40年も服役していて、刑務所内ではよろず調達屋として重宝がられている。
 そのレッドにアンディがロック・ハンマーを手に入れて欲しいと依頼してきた。この時がレッドとアンディの初めての接触だったのだが、アンディは石が好きなのだという説明だった。もっとも、このハンマーで脱獄のためのトンネル掘っていったら、600年はかかるというのがレッドのその時の感想だった。
 それからしばらくして次ぎにリタ・ヘイワースのポスターの注文がきた。アンディは堅物だとばかり思っていたから、そのアンディから悩ましげなリタ・ヘイワースのポスターが欲しいと言われてレッドはにやりとしたものだった。
 刑務所の生活が詳細に描かれている。アンディは誰に媚びることもなく毅然としていたから古株の乱暴者から見れば生意気だったし、優男だったから女役を求められてきたがアンディは言われるがままにされることはなかった。
 執拗な攻撃にも抵抗したから傷だらけになり顔の形が変わるほどだったがアンディはひるまなかった。時には鋭い抵抗も行って相手を負傷させることもたびたびだったから、懲罰房を食らうこともしばしばだった。
 しかし、いつしかアンディに手を出そうとする者がいなくなった。アンディの数少ない話し相手はレッドだった。レッドにアンディは自分は無実で、すべての偶然が重なって貶められたと語ったが、レッドは入所者の大半が自分は無実だと主張することを知っていた。
 再審を請求しても退けられるだけで、いつしかアンディの服役は19年に及んでいた。この間、アンディは持ち前のビジネスマンとしての才覚を活かして所内に図書室を設けたし、銀行における経験を使って刑務所長ノートンの投資顧問となっていた。
 新しく入所してきた若い男が、前にいた刑務所で耳にしたことだと言って、医者の妻とその愛人を殺したことがあったが、何とその医者が犯人に仕立てられたと自慢話をするのを聞き及んだ。
 医者と銀行員の違いはあるが、その話はアンディの事件とそっくりであると判断したアンディはノートンに再審請求の手続きをするよう依頼する。
 ところが、ノートンはアンディが刑務所の外に出てしまえば、アンディに任せていた投資話が明るみに出てしまうことを恐れ、アンディの再審請求を握りつぶしてしまったのだった。ことここに至って、アンディはついにあることの決行を決意する。
 ここから先へ進むことはこれから読む人の興趣を削ぐことになるので触れないが、ロック・ハンマーとリタ・ヘイワースのポスターが重要な役割をになっていることだけは書いておこう。
 レッドの語りがしみじみとしていてとても印象深い。何といってもアンディの生き様に共感があるからだが、これほど心温まるラストシーンもないものだった。
 なお、映画と小説は同じである必要はさらさらないが、小説はイメージを膨らましながら読み進むのに対し、映画はイメージが具体的に提示されるから、映画を観てから原作を読むよりも、読んだ原作の映画を観た方が楽しみは大きいように思われた。もちろん本作に限ってのことだが。
 なお、本作は新潮文庫『ゴールデンボーイ』所収。浅倉久志訳。