ABABA’s ノート

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ひっそりとたたずむ「無言館」

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(写真1 林の中にひっそりとたたずむ無言館)

戦没画学生慰霊美術館

 美術館へは、上田電鉄別所線の塩田町駅から〝信州の鎌倉シャトルバス〟が出ていた。バスなら10分もかからないが、丘の上にあり、道もわかりにくそうで歩いては難儀そうだった。しかし、バス停付近の丘の上から見た眺望は実に素晴らしいもので、上田盆地のはずれであろうか、眼下に一望にできた。
 このバス停付近は山王山という公園になっていて、ここから美術館へは坂道を登ること5分ほど。無言館は2館になっていて、手前が第二展示館「傷ついた画布のドーム」で、さらに登っていくと無言館の本館だった。どちらから先に見ても構わないようだが、私は本館から順に見た。入館料は2館で千円。
 無言館は、館主の窪島誠一郎氏らが奔走し先の大戦で没した画学生の遺作を蒐集し展示している美術館で、1997年の開館。
 美術館は、木立の中でにたたずむようにあり、コンクリート打ちっ放しの無骨な建物が異彩を放っている。
 木の扉1枚のドアを開けて中に入ると、薄暗い館内におびただしい絵画が展示されている。なお、入ってすぐの壁に、「私はあなたを知らない。知っているのは遺したたった一枚の絵だ」という窪島誠一郎の文章が掲げられてあった。
 順に展示されている絵画を見ていく。気になるのは、作品そのものもさることながら、作品に添えられている解説の言葉だ。
 1912年山形県出身ルソン島で戦死33歳、昭和11年東京生まれ1945年ルソン島で戦死36歳、1917年生まれ1945年ルソン島で戦死28歳などとあって、若くして亡くなったことが知れる。それだけに無念はいかばかりだったか。
 作品には、自画像が少なくないし、母や妹を描いたもの、家族写真のようなものもあるし、若い妻を描いたものもある。
 どのような気持ちで筆をとったのか、美校を卒業した画学生なのだから、作品を遺しておきたいという心情が強かったのだろうが、見ている方も鎮魂の気持ちがいや増すばかりだ。
 無言館とは何という名前を付けたものだろうか思う。もちろん、今や無言で問いかけるしかないが画学生たちではあるが、見ている方も安易な言葉を発せられるものではなくて無言にならざるを得なかった。

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(写真2 第二展示館「傷ついた画布のドーム」

 重い足取りで坂を下り、第二展示館に入ると、内部は2階分吹き抜けの天井の高いドームになっていて、天井には無数の絵が貼り付けられてある。画学生たちのデッサンだということである。もちろん、館内には本館同様に数多くの作品が展示されていた。
 また、ここには廊下の壁面一面に書架が作り付けてあって、館主のものだというおびただしいほどの蔵書が展示されてあった。
 さらに、第二館の前には大きな石碑が建っていて、無数の絵筆がはめ込んであった。

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(写真3 西岡健児郎高知県生享年26歳「妻(せつ)」=美術館で販売されていた絵はがきから引用)