ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『フジコ・ヘミングの時間』

f:id:shashosha70:20180703180008j:plain

(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)
魂のピアニストの軌跡

 フジコ・ヘミングを描いたドキュメンタリーである。80代になった今なお世界各地で演奏活動を続けるフジコを追い、2年間の生活に密着した記録である。
 冒頭からいきなり「ラ・カンパネラ」が流れてきた。フジコの代表曲である。難解な曲の多いことで知られるリストのこの曲をフジコは流麗に弾く。カンパネラは鐘を意味するらしいが、フジコの演奏は私には天上から響いているように聞こえた。
 映画は、年60回にも及ぶという各地の演奏会を追いながらその間にフジコの私生活が挟まれるという進み方。人生を振り返る際に重要な役割を果たしているのが14歳の折りに描いたという絵日記。
 フジコ(フジ子とも称される)は、スウェーデン人の父と日本人ピアニストの母との間にベルリンで生まれた。父と別れ、東京で母に育てられた。母の手ほどきでピアノを習い、やがて藝大を出てピアニストの道を進む。演奏家を志していたころ、風邪をこじらせ片耳の聴力を失う。音楽教師をしながらコンサートも細々と続けてはいたが、世界的に認められることもなかった。
 それが、60歳になってリリースした『奇蹟のカンパネラ』が大ヒット、一躍、世界の舞台へ躍り出る。やがて奇跡のピアニストとか魂のピアニストと呼ばれ絶賛を博している。
 面白いのは、〝年齢未公表〟と出ていること。もはや年齢をごまかせないほど著名になっているし、年齢を明かしたくないほど若くもないのだろうにとは思うのだが、劇中の事象から換算すると、どうやら85歳くらいらしい。嫌がることを無理にあからさまにして申し訳ないが。
 1年の半分はパリのアパートで暮らしている。猫が3匹。犬もいたようだが亡くなったようだ。ピアノが2台。1日4時間もの練習を欠かさない。だから指はごつい。部屋はアンティーク調でクラシックに飾り付けられている。これは衣装もそうで、私には過剰なデコレーションのようにも思えたが、しかしこれは好き好きのこと。
 世界中を演奏旅行しているのだが、驚くのは各地に家を持っていること。パリをはじめニューヨーク、ベルリン、京都等々。わずか数日のために先々に留守番を置き、ペットシッターを頼んでいる。
 また、散策が好きなようで、街路に物乞いがいれば必ず立ち止まって小銭を渡す。しらんふりして通り過ぎれば神様が嘆くとフジコは語る。
 しかし、圧巻はやはり演奏シーン。とにかく情感たっぷりだし、ダイナミック。素人の私にはわからないことだが、正確無比の演奏というよりは、いかに聴衆をわしづかみにするか、そのように思えた。
 ブエノスアイレスだったか、ピアノがひどすぎて演奏会をキャンセルしたいといって嘆息する場面があった。鍵盤に触ったら指が真っ黒になったというほどで、調律も何もされていなかったのだ。
 そんな演奏会もあるが、しかし、各地で絶賛されているし、熱狂を持って迎えられている。映画では、各地の演奏会シーンごとに1曲を挟み込んでいるのだが、流れる曲はほんのさわり程度だが、これがとてもいい。フジコの世界に浸れる。ドビッシーあり、バッハあり、ショパンあり、ラフマニノフありといった具合だ。
 演奏された曲の中から演出家が選んだのだろうが、あるいはフジコも同意したのかもしれないが、演奏会ごとに映画で流れる曲は異なっていて、京都ではベートーヴェンの「月光」だったし、ニューヨークの散策シーンでは、おそらくパークアヴェニーを歩いていたと思うが、リストの「ため息」だった。
 実は私もたった1枚だけだが「フジ子・ヘミングLa Campanella」と題するCDを持っていて、「ラ・カンパネラ」もさることながら、わたしはこの「ため息」が最も好きなのだった。
 そして、エンディングはやっぱり「ラ・カンパネラ」だった。劇中に挿入される演奏はほんのさわりほどだったのに、このエンディングでは5分ほどの曲がきっちりと紹介されていた。
  そう言えば、劇中で、私のラ・カンパネラは絶対の自信がある。誰と比べてもらってもいい、そのように語る場面があった。また、この同じ場面だったと思うが、「音には色がある」と語っていて、フジコの演奏の神髄に触れたようだった。
(企画・構成・撮影・編集・監督小松壮一良。配給日活)