ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー『消えた消防車』

f:id:shashosha70:20180611173722j:plain

マルティン・ベックシリーズ
 スウェーデン語からの直接の訳出で改めて注目されているマルティン・ベックシリーズの5作目。
 張り込みをしていたグンヴァルト・ラーソンの目の前でアパートは爆発炎上した。張り込み対象の1階右のマルムの部屋が火元と見られたが、自殺か他殺か判然とはしなかった。ただ、ラーソンの獅子奮迅の活躍によって当時アパートにいた11人のうち8人を助け出した。
 不思議なのは呼んだはずの消防車がすぐには到着しなかったこと。現場はシュルドガータンというのだが、折悪しく火災を通報する二つの電話が相前後して消防署に入り、先に通報した現場と少し遅れて警察官が通報した現場は同じ場所と消防署は判断したために警察官の通報現場には消防車は出動していなかったのだった。このことがあとになって事件を解く大きな鍵となるのだった。
 マルムの周辺にはバッティル・オーロフソンという故買屋の男が浮上するが、捜査は遅々として進まなかった。集まるのは断片ばかりで、カードはつながらないし、一枚の絵にはさらさらならなかった。刑事たちは突破口を見いだそうとそれぞれに糸口を探っていた。
 マルティン・ベックシリーズの魅力は二つ。もちろん警察小説だから、事件と捜査の詳細が刻々と明らかになっていき、ミステリーとしても上質の物語なのだが、そこで背景となっている社会が実に写実的に表現されていることと、登場する刑事たちの人物像が生き生きと描かれていることだ。
 本作は1969年の刊行で、移民問題が大きな影を落としている。本作はシリーズ5作目だが、シリーズは1年1作のペースで書き続けられてきてきっちり10作に及んでいて、この間の10年はまるでスウェーデンの1960年代から70年代に至る現代史を読むような充実感があり、本シリーズが警察小説の金字塔と呼ばれる所以となっている。
 また、人物描写も本シリーズを豊かにしている。主人公のマルティン・ベック警部は風邪をこじらせて年中鼻をかんでいるし、夫婦仲は本作に至っていよいよ最悪になっていき、娘からはなぜいつまでも一緒に暮らしているのだと指摘される始末。沈着冷静で見事な推理眼を発揮するが、権威を嵩に着るようなところは微塵もない。
 ベックが最も信頼する相棒のレンナート・コルベリは警部補。事件の把握が的確で、本作で警部に昇格しているが、どこかで警察を嫌っている風が感じられる。
 これまでの事件を余さず記憶しまるで記憶装置のごときフレドリック・メランダー。いないときはトイレを探せといわれているエイナール・ルンなどと常連の登場人物たちは多彩。
 そして本作で主役となっているのがグンヴァルド・ラーソン。大男であり、粗野でその暴力的言動からコルベリからは毛嫌いされているが、独特の捜査観を持っていることを本作でも垣間見せており、捜査陣の中でただ一人の上流階級の出身でもある。もっとも、本人はその出自を嫌ってはいるが。
 初めて本シリーズが我が国で紹介されたのは高見浩訳による1971年だった。以来、新刊が出るたびにむさぼり読んでいたものだった。
 それでその舞台がどんなところなものか気になって、ストックホルム警視庁(本書ではストックホルム警察となっている)があるというクングスホルムスガータンという通りまで訪ねていったことがあった。もう数十年も前のことだが。
  高見訳は英語版からの翻訳だったのに対し、新訳シリーズは柳沢由実子によるスウェーデン語からの直接の訳出で新鮮味もあり再読が楽しみとなっていた。
 ただ、訳者あとがきによると、新訳版の刊行は本書で中断するということらしい。訳者の都合ではないようだから、版元の事情なのだろうが、10作のちょうど中間で止めるというのはいかにも残念。いち早い再開を望みたいものだ。
 また、本作の柳沢由実子さんやレイフ・GW・ペーションの『許されざる者』を訳した久山葉子さんなどスウェーデン在住の翻訳家たちがスウェーデン語からの直接の訳出を行って北欧ミステリの傑作を次々と紹介してくれているところであり、引き続き活躍を祈りたいものだ。
(角川文庫)