ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

4度目の塩屋埼灯台

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(写真1 薄磯海岸から見た塩屋埼灯台)
常磐の岬を訪ねて①磐城の灯台
 気象情報を睨みながら梅雨の晴れ間を縫って常磐の岬巡りに出かけた。
 6月14日。初めに磐城の灯台塩屋埼灯台へ。 常磐線の特急ひたち3号を終点いわきで下車。10時23分の到着。始発の上野からなら2時間23分の乗車である。いわき駅はかつて平駅と呼ばれていたようにいわき市の中心で、常磐線の重要な拠点駅でもある。福島県を横断し郡山駅と結ぶ磐越東線の起点駅でもある。
  駅前ロータリーの9番乗り場から常磐交通バス泉駅行き。塩屋崎をぐるっと回る路線で、途中、漁港で有名な小名浜などを通る。

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(写真2 バス停から遠望した塩屋埼灯台)
 塩屋崎はその中間あたりで約30分、その名も灯台入口下車。停留所から岬上の灯台が顔をのぞかせている。
 このあたりは、薄磯と呼ばれる地区なのだが、岬まで見晴らせるように閑散としている。東日本大震災で津波被害に遭ったところで、立派な防潮堤が築かれ、宅地整理も終わっているが住民は戻ってきていないようだ。通りで会ったご夫婦と話したら、自分たちも高台へ引っ越ししたし、平地は分譲しているが買い手がつかないということだった。
 バス停から約15分、塩屋崎到着。福島県いわき市所在。福島県の南東部に位置する。茨城県との県境にも近い。勿来の関を越せば茨城県である。
 塩屋埼灯台を訪れるのは4度目。夏はこれが初めてで、灯台は春夏秋冬様々な季節に訪れたいもの。

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(写真3 白堊の灯塔が美しい塩屋埼灯台)
 早速灯台へ登ってみる。きつい階段を登ると塩屋埼灯台である。白堊の堂々たる灯台で、実に美しい塔形をしている。塔高が24メートル、灯火標高は73メートルとある。つまり、灯台は約50メートルの断崖の上にあるということ。
  常時一般公開されている参観灯台で、入場料200円。らせん階段を登ってデッキへ。階段は100段ほどもあるからなかなかきつい。しかし、デッキに出ると一気に眺望が広がる。この爽快感を味わいたくて灯台を訪ねるようなもの。眼前は大きく広がる太平洋である。両手を広げて余るほどだから 200度もの眺望。左手は薄磯の砂浜の海岸で、遠くに巨大な煙突が見えるが、広野火力発電所かもしれない。右手は豊間の漁港が見えている。眼下では岩礁を波が洗っており、船舶にとっては難所であろう。
 塩屋崎は、80万分の1程度の地図なら、なだらかな海岸線に腹が出た様子で、鋭く突き出ているわけではない。ただ、デッキから後背部に目を向けてみると、岬はその腹にでべそのごとく突き出ているのが見て取れる。だから、デッキに立つと劈頭に立った気分になる。
  座標は、北緯36度59分42秒、東経140度58分55秒で、地図を広げて指で図ると、犬吠埼灯台から金華山灯台の中間に位置するようだ。
 日本の灯台50選にも選ばれており、第3等レンズの大型灯台だ。ただ、灯塔の大きさの割にはレンズはやはり1等レンズほどには大きくは見えなかった。単閃白光で毎15秒に1閃光とある。光度は44万カンデラ、光達距離は22海里(約41キロ)とあった。ちなみに初点は1899年12月15日である。

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(写真4 灯台資料展示室に展示してあったレンズ)
 敷地内には灯台資料展示室があって、灯台の仕組みなどが説明されてあった。第4等レンズも展示してあって、レンズが回転して光を放つ仕組みがわかるようになっていた。
 灯台の麓には二つの大きな記念碑がある。一つは、映画「喜びも悲しみも幾年月」(監督木下恵介)のもので、ここの灯台長夫人の手記が原案となったということだった。また、ロケも行われたとのこと。
 もう一つは、塩屋崎を歌った美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑である。塩屋崎を有名にしたのはこの哀愁のこもった歌だったのかもしれない。実際、訪れている中高年の人たちは流れてくるひばりの歌を聴いて喜んでいた。
 なお、塩屋埼灯台は、東日本大震災で地震被害に遭った灯台で、9ヶ月間も消灯していて、再点灯したのは11月30日だった。