ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

東武小泉線

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(写真1 館林駅4番線に停車中の小泉線列車。右は1番線の佐野線列車)
両毛地方東武鉄道乗り歩き②
 佐野線を起点の館林まで戻って、小泉線に乗り換えた。
 小泉線は、二つの路線から構成されている。一つは、館林駅-西小泉駅間を結ぶ12.0キロの路線で、もう一つは、館林-西小泉間の中間の東小泉駅から分岐して太田駅間を結ぶ6.4キロの路線。
 館林駅で小泉線は4番線からの発車。4番線ホームは、3番線5番線ホームの3番線側の一部を切り込んで設けられており、行き止まりの形で、佐野線の1番線と似たような設定だ。
 11時01分の発車。西小泉行き。2両のワンマン運転。佐野線よりも乗客は多いようだ。
 沿線は住宅が続いていて、工場も点在している。首都圏にも近いし工業化が進められているのであろう。
 このあたり群馬県邑楽郡(おうらぐん)の郡域で、館林市をぐるっと取り囲むように板倉町、明和町、千代田町、大泉町、邑楽町が連なっている。どうやら平成の大合併でも独立を保ったものらしい。全体が群馬県の南東部に位置している。
 東小泉。1面2線の島式ホームで、1番線到着。反対側2番線には太田方面行きの列車がすでに待っている。

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(写真2 カラフルで明るい西小泉駅)
 私はそのまま乗車していて、終点西小泉11時19分着。館林からわずか18分の乗車。大泉町所在。邑楽郡では最も西にあたる。
 1面2線のホームがあり、頭端側に駅舎があった。なお、隣にもう1本片側1線のホームがあったが、これは線路は残っていたものの架線は取り外されており使用されていないようだった。ただ、この線路は駅からさらに西へと伸びているように敷設されており、これは、今は廃線となったがかつての貨物線仙石河岸線の遺構であろう。
 駅舎は黄や緑色で彩れていて明るい。建て替えられたものであろうまだ新しい。
 この駅は、戦時中は、中島飛行機小泉製作所の玄関口だったもので、それらしきものがあれば見学してみようと思っていたのだが、駅前には見当たらなかった。ただ、周辺には三洋電機東京製作所、スバル大泉工場などがあるらしい。
 そういうことでか、駅の利用者は毎年増加していて、ローカル私鉄の終着駅でこれは珍しいのではないか。
 また、利用者に外国人の割合が高いのだそうで、特にブラジル人が圧倒的に多いのだということ。そうか、駅舎が黄や緑色だったのは、ブラジル国旗をイメージしたものだったかも知れない。
 実際、すぐに折り返したのだが、乗客の半数がそれらしき人々だった。
 そういうことで折り返し、再び東小泉。同じホーム反対側に太田方面行きの電車がすでに待っていた。
 2両の電車のワンマン運転で、行き先は赤城とある。伊勢崎線へ回るのではなく太田を通り越し桐生線の赤城まで行く列車である。
 東小泉を出てすぐに右にカーブしていったが、そうこうして太田11時38分到着。わずか9分の乗車で、小泉線はここまで。
 それにしてもこのあたり鉄道密度が高い。それで調べてわかったが、館林-東小泉-太田-足利-館林はぐるっと環状になっていて、例えば、館林から太田へ行く場合、足利経由で伊勢崎線一本で向かう場合と、東小泉経由とする場合とでは、列車を乗り換えても東小泉経由の方が列車によっては早い場合があるようだ。

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(写真3 東小泉駅ホーム。右が館林方面行きで、左は太田方面行き)