ABABA’s ノート

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畑村洋太郎『技術の街道をゆく』

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技術者への提言
 著者は東京大学名誉教授。「失敗学」の提唱者として知られる。失敗に学び、同じ過ちを起こさないようにするということだが、境界領域の広い学問で、原因究明をしっかりと行うことはもちろん、得られた知識を社会に広めていくことが肝要だと提唱している。
 著者は日本の各地をまわって技術の現場を訪ね歩いてきていて、「実際に現地を訪れ、そこで現物に触れ、現場の人たちと議論をする」現地・現物・現人の3現が基本で、司馬遼太郎にあやかって技術の街道をゆくにしたとのこと。
 とにかく訪ね歩いて得られた知見を丁寧に解説していて極めて啓蒙的である。技術者への提言も含まれていて大いに参考になるのではないか。
 例えば第3章「津波の跡をゆく」では、著者は三陸の津波についてかねて強い関心を持っていて、 学生時代の産業実習で釜石を訪れ、新婚旅行は三陸海岸で津波の足跡をたどることだったほど。
 3.11の直後にも岩手県宮古市の田老を訪れた。定点観測が目的で、田老にはかねて万里の長城とまでいわれた大防潮堤が築かれていて津波襲来に備えていた。防潮堤は総延長2.4キロ、X字の構造になっていた。
 しかし、立派な防潮堤があったのにと考えるのは見当違いで、「防潮堤が津波を押しとどめるための構造物だと考えられているからである。そこに誤解がある。防潮堤は侵入してくる水の量をできる限り少なくし、住民が避難する時間をかせぐための構造物なのである。したがって、いくら高い防潮堤があるからといっても、「津波が来たら逃げろ」ということに変わりはないのである。ここが肝心である。」
 「どんなに高い防潮堤を築いても、住民が逃げなければ意味がない。もしかすると、田老の防潮堤は住民の人たちに間違って理解されていたのかもしれない。防潮堤の高さに安心して、肝心の「逃げる」ということに意識が向かわなくなっていたのではなかろうか」。このように指摘している。
 紙幅の都合上長く引くのもいかがかと思われるので、ここからは本書各所にちりばめられている「畑村語録」を少々乱暴だしランダムになるが拾い出してみよう。
 ・技術の失敗と技術の継承は切っても切れない深い関係がある。
 ・技術は伝えようとしても伝わらない。
 ・人間は3日、3月、3年、30年という周期で失敗を繰り返す。
 ・(被災した地域を見た気がついたことは)神社の分布の重要性である。……これらの神社は、津波の最終到達地点上に建っているのではないかと思われる。
 ・知識と行動を結びつけて、緊急の場合でも即座に体が動くようにするためには、日常的な訓練が欠かせない。
 ・技術はまったくのゼロから突然現れるわけではない。他分野での経験の蓄積や物理モデルの共有から生まれてくる技術、というものもある。……これは、応用とは違うものだと筆者は考えている。
 ・いま目の前にあるものを見て時間軸を逆にたどり、「どのように作られたのか」「どんなことが起きたのか」と考えていくと、今という時点での静止画的な断面図から想像や推察を駆使して、生き生きと動く立体図をつくることができる。こうした「時間軸を入れる」という見方が大事だと筆者は思っている。
 ・技術者はしばしば、本質安全を制御安全と取り違える。事故はそこで起こるのである。
 ・人間は問題解決については一生懸命よく考える。しかし、ひとたび問題が設定され、その解決について考え始めると、その問題が解決すべき問題だったのかどうかは考えなくなるのである。……問題をいかに解決するかも重要なことだが、それ以上に、問題をいかに設定するかも重要なことである。
 ・「危険にはフタをする」というその考え方が、別のさらに大きな危険を呼び込むことになるを、日本人はそろそろ学ばなくてはならない。
 ・これからの日本の技術者は、お手本のない世界で、利益の源泉を自分で探してくる必要がある。それには、Howだけで考えるのではなく、Whatでも考えなくてはいけない、ということである。つまり、「ものを作る」よりも前に、「考えを作る」必要があるのである。
(岩波新書)