ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』

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(写真1 芥川賞決定前の発売だったので帯が芥川賞候補作となっている)
芥川賞受賞作
 表題の、おらおらでひとりいぐもは、私は私なりに一人で生きていくよ、というほどの意味か。訛りのかなり強い東北弁だが、この東北弁で語られる一人称に標準語の三人称が組み合わさって独特の見事な物語世界が描きだされている。
 桃子さんは、満二十四歳で故郷を飛び出し上京してかれこれ五十年になる。夫の周造には十五年前に突然先立たれた。息子と娘二人の子供とは疎遠になっているし、十六年一緒に住んだ老犬も身罷ってしまった。
 郊外の新興住宅地に一人住んでいる桃子さんが来し方を振り返るとまるでジャズのセッションのように際限なく内から外から重低音でせめぎあい重なり合ってくる。それも東北弁になっていて、まるで小腸の〝柔毛突起〟のようにゆらゆらと揺れているのだ。
 周造とは、働いている食堂で知り合った。連れの者との話で同郷と知れた。八角山のことを話題にすると周造も知っていると言う。東北弁が口を重くしていた桃子さんにとっては素直になれる人だった。
 「周造は桃子さんが都会で見つけたふるさとだった。故郷に取って代わるもの。美しさと純真さで余りあるもの。目の前でうっとり眺める美しい彫像だった」のである。
 また、「虔十だ。あの宝石のような物語の主人公が目の前にいる」とも表現していて、虔十とは宮澤賢治の童話の主人公のことだろうが、桃子さんの周造に対する愛の深さがわかる。
 東北弁で語られるリズムがいい。
 「この先、何如(なんじょ)なるべが」と不安が持ち上がるものの、「なりなりだぁ」と達観もする。「うんと良くもねが、さりとてうんと悪くもね」「たいていのことは思い通りにならなかったじゃないか」と振り返る。
 ばっちゃを懐かしみ、母ちゃんに想いをいたす。そして娘に対しては「おもさげながったぁ」と悔やむ。女は育てられたように子を育てるというほどの気持ちが込められていたのであろうか。その自分がやがて山姥となり大母となっていく。
 東北弁に救われている。深刻な話題も鹿爪らしくなく伝わってくるし、ユーモアになっている。
 そして、「老いると他人様を意識するしないにかかわらず、やっと素の自分が溢れ出るようになるらしい」と結ばれるとほっとした。
 老境を綴ってこの明るさ、したたかさは何だろうか。老妻にここまで慕われる夫は幸せ者だ。
 芥川賞受賞はいつでも大きな話題になる。著者自身が60代半ばという。老いて小説を習い書いて芥川賞を受章する。本書帯によると、歳をとるのも悪くないと思える小説のことを玄冬小説というらしいが、これからは青春小説ならぬ、このような小説が出てくるのであろうか。そういう意味では、新しい時代を描いていたとも言える。
(河出書房新社刊)