ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

赤塚隆二『清張鉄道1万3500キロ』

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清張世界を読む乗り鉄
 労作である。
 松本清張の作品から鉄道の記述を抜き出し、乗車記録をリストしていく。それも、初乗りを丹念に拾っていく。第1作から読み進み、初乗りで乗った路線を鉄道地図に載せていくと、やがて清張鉄道1万3500キロが完成するという具合である。
 これで読破した清張作品は320編に及んだ。これには時代物や評伝、ノンフィクションを除いている。これによって、「清張世界を読む乗り鉄」を完乗したとのこと。
 乗り鉄とは、撮り鉄、車両派、秘境派などと多岐にわたる鉄道趣味世界のカテゴリーの一つで、もっぱら乗って楽しむ流派と規定することができるだろう。
 実際にも、著者は乗り鉄のようで、JR全線を完乗しているというから筋金入りだ。つまり、ひとかどの鉄道ファンということになるが、この経験が本書を書き進む上で極めて有効になった。
 つまり、鉄道乗車記録のディテールがしっかりしているし、例えば、鉄道が登場する清張の作品は、1951年から92年の長きにわたっているが、50年代半ばから60年代半ばがピークとなっているようで、著者は作品中の鉄道乗車場面の記述を当時の時刻表を参照しながら検証まで行っていて、これはもう鉄道ファンの徹底ぶりであろう。
 一つ次ぎに引いてみよう。
 「社会派ミステリー作家・松本清張」の登場を予告する重要な作品が登場する。刑事が容疑者を追う筋立ての第1号「張込み」である。55(昭和三〇)年12月の「小説新潮」に載った。
 警視庁は、強盗殺人容疑者石井久一が、故郷の山口県か、昔の恋人さだ子が後妻として嫁いだ九州のS市か、いずれかに立ち回ると見て、2刑事を西へと向かう列車に乗せる。
 《柚木刑事と下岡刑事とは、横浜から下りに乗った。東京駅から乗車しなかったのは、万一、顔見知りの新聞社の者の眼につくと拙いからであった。列車は横浜を二十一時三十分に出る》
 柚木はS市へ行き、下岡は山口県へ向かう。車中の様子や車窓が詳しく書かれる。
…………
 《小郡という寂しい駅で下岡は下りた。彼はここで支線に乗り換えて、別の小さな町に行くのだった》
 《柚木はこれから九州へ向かうのである。門司に渡って、さらに三時間乗りつがねばならない》
 《夜遅くS市に着き、柚木は駅前の旅館で寝た》
 S市が佐賀市だとは書かれていない。しかし、「電車もない田舎の静かな小都市である。壕がいくつも町を流れている」という描写があり、さだ子を見張るために泊まった宿の名前が「肥前屋」という。決定的なのは、宿の女将の濃厚な佐賀弁だ。
 横浜から佐賀まで、東海道、山陽、鹿児島、長崎の4線を乗り継いで、1199.7㌔に達する。しかし、鹿児島、長崎両線の分岐点鳥栖までは『青春の彷徨』の木田と佐保子が乗っている。鳥栖-佐賀25㌔のみ初乗りにカウントできる。
 引用が少々長くなったが、こんな具合である。
 清張鉄道に乗るといいながら、実は著者自身も旅を続けているのである。このことが情感を深くしているし、細かく清張作品を追いながら面白く読ませている所以であろう。
 なお、著者は朝日新聞の記者だったのだが、新聞記事では本線という記述を略して単に東海道線とか東北線などと書いていて、本作においてもその通りに書いている。このことについては初めのくだりで断ってはあるのだが、それにしてもある種鉄道ものと言える本作でも本線を略したことはいかがものだったか。やはり東海道本線や東北本線と書いてもらった方が鉄道ファンとしては落ち着く。もっとも、この頃では鉄道会社自体にも本線を略すところが散見されるようにはなってきたが。
(文藝春秋社刊)