ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

高岡と万葉線

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(写真1 新しくなっていた万葉線高岡駅停留所)
現代工業と伝統文化
 このたびの北陸旅行では、宿は福井、金沢、富山のいわゆる北陸三都に取ったから泊まりはしなかったが途中高岡にも寄った。
 高岡市は富山市に次いで富山県第二の都市。私の仕事、溶接の立場からすれば、富山よりも、あるいは金沢や福井よりも関係は深い。銅やアルミニウムの関連工業が発達しているし、富山県の工業技術センターも高岡に置かれているほどだ。そういうことで、現役時代に訪れた回数では三都よりも多いくらいだ。
 個人的にも、ここには友人も住んでいるのだが、このたびは連絡はしなかった。声をかければ喜んでくれることはわかっていたが、何しろ駆け足だった。不義理にはなるが。
 その駆け足でまずは万葉線に乗った。高岡駅は、新幹線開業に伴う並行在来線として旧北陸本線から転換された「あいの風とやま鉄道線」とJRが城端線、氷見線が乗り入れるが、駅舎が新しくなっていて、万葉線のホームは駅舎の古城公園口側に抱かれるように設けられていた。かつては駅前に停留所があるだけだったが、新しくなって2面2線のホームと待合室まで設置されていた。
 万葉線は細かくはちょっと複雑な構成で、軌道線と鉄道線が連続している路線。軌道線は高岡駅-六渡寺間8.0キロ、鉄道線は新湊港線と呼ばれる区間で六渡寺-越ノ潟間4.9キロである。高岡駅-越ノ潟間を一体として運行している。
 そういうことで、11月29日高岡駅停留所11時00分発。ここからはしばらく路面電車である。ちょっと古い車両だが、途中すれ違った車両は2両連接の新型車両だった。
 二つ目の停留所を過ぎて右折した。古い街並みをゆっくりガタゴトと走っている。ちょくちょく停まる。途中、高岡大仏にはこちらが近いとか、古城公園にはここが便利だといった案内がアナウンスされている。
 大きくは北へつまり富山港に向かっている路線で、富山湾に面するまでは氷見線と並行して同じ方向に向かっている。
 米島口には車庫があり、右折して氷見線を高架で渡った。専用軌道となり、工場地帯となったようで、庄川が左窓に見える。中伏木で富山湾に面し、次の六渡寺から鉄道線に入った。専用軌道の延長だから変化には気づきにくい。ただ、速度は一気に上がった。このあたり立山連峰が美しく見えるはずだが、この日は雨模様で何も見えない。
 そうこうして海王丸の次が終点越ノ潟。片側1線のホームがあるだけで、路面電車然としている。駅前には富山県営の渡船の発着場があった。富山港を巡るものであろう。周辺はコンテナ埠頭になっているようで、巨大なクレーンが林立していた。

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(写真2 万葉線の終点越ノ潟駅)
 万葉線とは、万葉集を編纂した大伴家持がこの地で多くの歌を詠んだことにちなむものであろうが、それぞれの停留所には和歌一首が添えられてあった。終点の越の潟には次のようにあった。
 あゆをいたみ 奈呉の浦みに 寄する波
 いや千重しきに 恋ひわたるかも
 ところで、電車では、女子高校生が対面に座った。セーラー服をきちんと着て、膝頭をきちんと揃えていた。それで教科書を開いて勉強していた。期末試験の最中なのかも知れない。このごろではだらしがなく座りスマートフォンくらいしか見ない生徒が多いから、とても感心した。
 折り返して高岡駅に戻った。当初計画よりも時間が余った。くだんの友人に電話をしようかとも思ったのだが、突然の連絡ではそれこそ迷惑をかけるし、一箇所だけ見物することに。高岡大仏はいかにも銅の町高岡らしくていいが、もう何度も見ているし、久しぶりに瑞龍寺を見物することにした。
 瑞龍寺へは駅の反対側瑞龍寺口である。徒歩十数分。八丁道と呼ばれる美しい参道が導いてくれる。
 瑞龍寺は、加賀藩三代藩主前田利常によって建立された。そもそも高岡は、二代藩主前田利長の高岡城築城に始まるわけだが、瑞龍寺は利長を弔うために利常が建てたもので、曹洞宗の寺である。
 実に壮大な伽藍で、まずはそのことに驚く。さすがは加賀百万石と思わせられる。そして美しい。
 総門(重要文化財)から山門、仏殿、法堂と国宝が三つも一直線に並び、周囲に回廊を巡らせ、禅堂や大庫裏(ともに重要文化財)を結んでいる。いかにも禅宗らしく整然とした佇まいである。建築は禅宗様である。
 瑞龍寺を訪れたのは二度目。随分と久しぶりで20年にもなるか。何度見ても禅宗寺院として印象深いものだった。

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(写真3 回廊が巡り大きな伽藍の瑞龍寺。手前が仏殿で奥が法堂である)