ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

活気ある八戸の街

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(写真1 八戸線の本八戸駅)
青森県にある南部地方
 先週末から津軽海峡に来ている。こういう書き方をするとあまりにも漠然とするが、つまり、往路は海峡を船で渡り、帰路は海峡をトンネルくぐり鉄道で戻ろうという算段。実に魅力的な旅程ではないか。
 初め、9月2日土曜日まずは八戸に入った。東京駅から八戸駅まで一直線に来れば東北新幹線でちょうど3時間のところ。ただ、盛岡を過ぎれば新幹線はトンネルの連続で何やら東北も奥深いところまで進んできたという印象はぬぐえない。
 八戸市は太平洋に面し青森県の東南部に位置し、青森県の南部地方の中心都市である。青森市、弘前市と並ぶが、八戸市は名だたる漁業の町であり、同時に青森県最大の工業都市である。
 この日取った宿は八戸駅の近くだったのだが、八戸の街の中心は今も昔も八戸線の本八戸駅が最寄り駅。かつて、現在の八戸駅は尻内駅といっていて、現在の本八戸駅が八戸駅だった。
 そういうことで、本八戸駅で降りて八戸の旧市街をぶらついた。八戸駅からは二つ目だが、5.5キロもあり、バスなら20分ほども離れている。

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(写真2 八戸城跡三八城公園にある南部直房の銅像)
 本八戸駅(地元の人は〝ほんぱち〟と呼んでいた)を出ると目の前にこんもりとした小高い丘があって、右から回り込むように登っていくと、ここが八戸城跡だった。盛岡の南部藩から2万石を分け八戸藩が立藩されたもので、17世紀半ばのこと。南部直房が八戸南部家の藩祖である。直房は南部家の藩祖利直の七男でる。
 城跡は三八城(みやぎ)公園となっていて、本丸の跡なのかさほど広くはないがよく整備されていて美しい公園となっていた。一段と高いところに南部直房の銅像があった。鎧姿で床几に座っている座像だが、端然としていた。
 この後散策してみてわかったが、城跡はなかなか広くて、現在の公会堂や市庁舎へと広がっていた。市庁舎の前の道路を挟んだ向かい側に立派な門があって、八戸城角御殿表門とあり、楼門という形式では日本でも最大級のものだと説明してあった。現在は南部会館だということである。
 また、公会堂の前には三浦哲郎の記念碑があった。三浦は八戸出身の芥川賞作家として知られる。受賞作は『忍ぶ川』だった。
 市庁舎の前の通りを下っていくと繁華街に出た。ホテルや飲食店が並び人通りも多くて大変賑やかなものだった。
 そう言えば八戸には思い出があって、もう40年以上も前になるが、新産都市の取材でよく訪れていた。あの頃は八戸がもっとも活況だった時代ではなかったか。
  ある年など酒場で飲んでいたら強い地震があって、みんな店の外に避難したことがあった。商店の棚がめちゃくちゃになるような大きな地震だった。今になって思い出したが、あの時の勘定はどうなったのだったか。

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(写真3 東北新幹線、八戸線、青い森鉄道が乗り入れている八戸駅)