(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)
詩のある生活
舞台はニュージャージー州パターソン市。バスの運転士パターソンが主人公。たまたま同名のようだ。妻のローラとブルドッグのマーヴィンが家族。
映画はこのパターソンの7日間を淡々と描いている。
月曜日。朝6時過ぎ、ローラにキスをしてベッドを出る。オートミールの簡単な朝食をとると徒歩でバスの車庫へ。昼食はローラの作ったサンドイッチ。勤務を終えると帰宅して夕食。食後は愛犬との散歩。途中、いつものバーに立ち寄ってビールを一杯。毎日同じ時間同じコースである。
まるで日めくりカレンダーを一枚ずつめくるように物語は進んでいて、火曜日、水曜日と判で押したような生活が続いている。しかし、倦怠感はまったくなくて、若い夫婦は仲がよくてほほえましい。
パターソンの趣味は詩作。朝、発車前の運転席で、帰宅後地下室の机で、バスの中の乗客の会話、街の様子などを毎日欠かさずノートに綴っている。ローラからは美しい詩だから詩集にした方がよいと薦められている。
木曜日。帰宅途中少女と出会う。詩を書くのが好きで秘密の詩作ノートを片時も放さないようだ。少女はエミリ・ディキンスンが好きだと話している。平易な詩で知られる女流詩人だったと思うが、10歳ほどの少女の尊敬を集める存在だとは知らなかった。
そう言えば、パターソンはウイリアム・C・ウイリアムズの詩が好きなようで、たびたびローラに朗読して聞かせている。アメリカを代表する詩人だが、ここパターソンで生涯を終えている。言わば同郷の尊敬する詩人なのである。
金曜日。運転中にバスが故障した。ローラが焼いたクッキーがバザーで大好評で完売した。
土曜日。クッキーの完売を祝し久しぶりに外食をし映画を見た。ところが、帰宅すると何とマーヴィンがあろうことかパターソンの詩作ノートを粉々に食いちぎっていたのだった。
コピーを取っておこうとしていた矢先だったのだが、茫然とするパターソン。慰めようもないローラに対し、「(詩は)ただの言葉だ。いつかは消える」と答えるが。
日曜日。傷心のまま一人で散歩に出る。いつもの公園で(永瀬正敏演ずる)日本人と出会い話しかけられる。ウイリアムズが好きでパターソンを訪れたのだという。日本人は話しているうちにお互いが詩の好きなことが通じ合い、詩人かと問われると、否、バスの運転士だと答える。
帰りしな、日本人はパターソンに真っ白なノートを一冊渡す。受け取ったパターソンは早速一行目を書き始める。
あらすじが長くなってしまった。詳しく書くつもりはなかったが、しかし、これで全部である。
まことに平凡な日常だが、しかし、詩人はそこを切り取って表現していく。確かに、詩を書けば誰でも詩人になれるわけではないが、淡々とした生活が詩があることによって豊穣としている。
また、日本人とパターソンとの間で「毎日が新しい」あるいは、ウイリアムズの詩を引用したものだったか、「レインコートを着てシャワーを浴びるようなものだ」といったやりとりの場面があって妙に印象に残った。
そして、翌週にはまた同じような月曜日が始まるのだが、大きなドラマがあるわけでもないのに観ていて飽きない。それよりも充実した深い余韻が感じられた。不思議な味わいの映画である。
ところで、パターソンとローラの会話の場面など言葉遣いが単純だった。ボキャブラリーが少ないからで、英語はまったく得意ではないが、それとわかるほどだったし、およそ詩人の言葉とは思われないほどだ。場面では、折に触れてパターソンの詩が読まれているのだがその滑らかさとの落差が大きかった。どういう意図だったのか気になった。
ジム・ジャームッシュ監督作品。