ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『セールスマン』

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(写真1 映画館に掲示されていたパンフレットから引用)
息詰まるサスペンスの傑作
 イラン映画。アスガー・ファルハディ監督作品。
 小さな劇団で俳優をしている仲のいい夫婦。ある日、妻が先に帰宅しシャワーを浴びようとしているところ呼び鈴が鳴る。てっきり夫が帰ってきたものと思った妻は確認をしないままロックを解きそのまま浴室へ。あろうことか妻は侵入者に暴力を振るわれる。傷つけられ血を流していた妻は叫び声を聞いて駆けつけた同じアパートに住む住人に助けられる。
 帰宅して初めて事の次第を知った夫は、妻に顛末を問いただすが、妻は詳しいことを話したがらない。ともかく警察に届けようと夫は妻に促すが、妻は頑なに拒んで受け入れない。
 次第に夫婦の間にはすれ違いが生まれ、すきま風が吹いて仲のよかった夫婦の歯車が狂い始めるのだが、この微妙な心理の襞の変化を描いてこの映画は秀逸だ。また、このあたりの演出は微細で、カメラワークも丁寧だし、夫と妻それぞれを演じた俳優が素晴らしくて、見事な心理劇となっていた。
 夫は、犯人が残していった車を手がかりに犯人を探し出そうとする。妻は復讐を止めさせようとするが、夫の追求は執拗に続く。ついに夫は犯人を呼び出し、追い詰めてゆく。
 問い詰められた犯人は、ついに犯行のいきさつを話す。事の次第が明らかになった夫は、犯行を世間にばらすと迫る。穏便な処置を泣いて懇願する犯人。
 このあたりは手に汗を握るようなサスペンスである。これほどの緊張感を覚えさせる映画も珍しい。息詰まるようだ。ここから一気にラストシーンに向かうのだが、穏便に終わるのかと思われたエンディングで、我々はやるせない思いに突き落とされる。見事なまでのどんでん返しである。予定調和的なところは何もなく、予測不能な面白さである。
 それにしても、なぜ妻は夫にすら事の次第を明らかにしようとしなかったのだろうか。警察に届け出ることはともかく。また、夫は妻が引き留めるにもかかわらずなぜあそこまで執拗に復讐に走るのだろうか。
 そこにはムスリムとしての葛藤があるのではないか。夫以外の男には顔すら見せないようにスカーフをしている女性が裸を見られた羞恥。妻を陵辱された男である夫の面子。舞台はテヘランであろうか、大都会である。極めて現代的であり文明的である。夫婦はインテリでありその生活は文化的である。我々に現在のイランの生活を知らしめてくれる、そのことでもこの映画の価値があった。
 映画では、夫婦が演じている『セールスマンの死』が劇中劇としてたびたび登場する。アーサー・ミラーの名作は、かつての成功を引きずりながら老いていくセールスマンの自死を描いていたと記憶しているが、この映画でも、夫の演ずるセールスマンが棺桶に入っている舞台がエンディングとなっていて、何か現代に生きる人びとに向けて足もとを見るよう促すメッセージとなっていたように思えた。
 映画を見終わって、一つ、久々に傑作を見たという印象が強く残った。
 なお、この映画は今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したが、ノミネートされた際、ファルハディ監督と妻を演じたタラネ・アリドゥスティが、トランプ大統領によるイラン人入国制限に抗議して、アカデミー賞授賞式への出席をボイコットしたことでも話題を呼んだが、トランプのみならず、我々はあまりにもイランについて知らなすぎることをこの映画を見て痛感もしたのだった。