ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

藤田宜永『喝采』

f:id:shashosha70:20170706163151j:plain

魅力ある探偵の登場
 主人公は私立探偵浜崎順一郎。事務所は新宿の歌舞伎町である。31歳の時、父の急逝で受け継いだ。父は警察を辞め探偵事務所を開いていた。その頃浜崎は不動産ブローカーをやっていた。少年院に世話になっていたこともあった。
 事件への関わりはちょっとした依頼からだった。中西栄子と名乗る女子学生が母を探してくれというもので、母の名は神納絵里香だという。現在は世間を騒がせないが一時は人気を博した日新映画のスター女優である。母は4歳の時に家出をしたらしい。
 浜崎は、大学の先輩で芸能記者をやっている古谷野に協力を依頼する。絵里香に隠し子がいたなんて聞いたことがないと言いながら調べていくと、当時絵里香のライバルといわれた福森里美も神納の音沙汰は聞かないという。ちなみに、絵里香と里美は当時から犬猿の仲として知られていた。
 映画関係者などを訪ね歩くものの、当時、所属する映画会社の社長をブロンズ像で殴って映画界を追われた女優の消息は杳としてつかめなかった。ただ、絵里香に子どもがいたことには皆驚いていた。
 そうこうして浜崎はやっと絵里香を捜し当てた。絵里香に娘が会いたがっていると告げると驚いていたが、ともかく会うことだけは承諾してくれた。
 それで、依頼人の娘と待ち合わせをして訪ねることにしたものの、娘は約束の待ち合わせ場所に現れなかった。しびれを切らした浜崎は絵里香のマンションを訪ねると、絵里香は死んでいた。
 警察の事情聴取を受けて、浜崎は女子学生の依頼で神納絵里香を探すことになったのだと事情を説明したのだが、何と中西栄子なる人物は実在はしたが依頼してきた女子学生とはまったくの別人であったことが判明した。
 中西栄子と名乗った女は何者なのか、絵里香とはどういう関係なのか、浜崎は顛末が知りたくて深入りしていく。
 藤田宜永の探偵小説である。情感たっぷりで文章が粋でしゃれている。ドタバタしたところはまったくなく最後まで読み通す魅力がある。
 驚くのは舞台の設定と状況描写の緻密さだ。1972年の東京という設定なのだが、当時の世相や流行っていたものなどがちりばめられている。「日航機のハイジャックがあったから、テレビは、そればっかり流している」などとさらっと挿入されている。だから、読者は40年前のことを今のことのように読み進むことになる。
 音楽がいつも流れていてそれが時代背景を説明している。「ラジオからガロの『学生街の喫茶店』が流れていた。学生運動が下火になったことを象徴するような曲である」といった具合である。
 浜崎が放つ駄洒落がいい。榊原と名乗る刑事については、「顔がやや色黒で、使い古した革靴のように皮膚がよれていた。縁なしの丸い眼鏡をかけていて、小学校の校長先生のような男である」と表現していて、思わずにやりとしたくなる。
  警察小説全盛時代の今日、探偵小説は却って新鮮である。やはりしゃれた物語を書くには警察官では固すぎるということが、この小説を読んではっきりと目覚めさせてくれた。
 近年、日本で探偵小説といえば、第一級は原尞が描いた沢崎であろう。沢崎と浜崎、二人とも新宿を舞台にしているところも似ているが、実に魅力ある探偵が登場したものだ。
 藤田宜永といえば、私には『壁画修復士』や『銀座千と一の物語』などが印象深く、探偵小説についてはあまり手が伸びてこなかったが、これからも是非浜崎の活躍を続けて欲しいものだ。
 本書帯に「チャンドラーに捧げる」とあるが、浜崎順一郎ならチャンドラーも文句を言わないのではないかそのように思われた。ただ、ミステリーとして読んだ場合、どんでん返しが弱く、最後が情緒に流れていた。もっともそこが藤田宜永らしいところでもあるのだが。
(ハヤカワ文庫上・下)