ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

島越駅と復活した吉村文庫

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(写真1 三陸鉄道北リアス線のカルボナード島越駅)
6年目の被災地へ(4)
 三陸鉄道北リアス線島越駅は、宮古駅から7つ目、33.4キロ、列車で40数分のところ。陸路ではとても不便で自家用車で約2時間ほどもかかる。
 ここは、駅舎が流出するなど北リアス線で最も被害が大きかったところ。このため復旧も手間取り最後まで開通が遅れたところで、この島越駅前後区間の復旧をもって2014年4月北リアス線は全線で運転再開となった。
 私はこの島越駅には、震災直後から7年間毎年訪れてきた。
 2011年には、駅舎は線路、ホームもろとも津波による流されていて、駅周辺の集落も壊滅していた。現前は漁港なのだが、がらんとしていた。
 駅そのものは、三陸鉄道でよくみられるように、トンネルとトンネルの間のわずかな空間にあり、震災前にはこの間を橋梁で渡っていて、駅舎は線路より海側の低いところに設けられていた。
 私は震災前にもここを訪れていたが、青いとんがり帽子のような構造の可愛らしい駅舎だった。愛称を宮澤賢治の童話からとってカルボナードと呼んでいたが、とてもロマンチックなものだった。
 復旧工事は難航した模様で、新しい線路は、トンネルとトンネルの間に築かれた堰堤の上に敷かれた。この堰堤は防潮堤の役目も担っていて、随分と強固なもののように思われた。列車の運転再開は2014年4月だったが、駅舎の完成はやや遅れた。
 新しい駅舎は、煉瓦張りでやはりとんがり屋根をのせた構造になっていて、旧駅舎のイメージに近寄せていた。とても立派な建物で、内部には、売店や休憩コーナー、展示室や待合室も設けられている。

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(写真2 島越駅待合室に設けられた吉村文庫。列車到着の合間に本を手に取る人がいた)
 この待合室に吉村文庫が設けられていた。そもそも、島越駅の吉村文庫とは、この島越付近を舞台に作家吉村昭さんが作品を書いたことの縁で吉村さんの寄贈によって設けられたものだが、震災で駅舎もろとも流されてしまっていた。
 そこで、夫人で作家の津村節子さんが今は故人となられた吉村作品と自らの作品を含めて改めて寄贈したもの。待合室には専用の書架も作り付けられ、数十冊にもなろうか、自由に手に取ることができるようになっていた。なお、本の貸し出しは行っていないとのことだった。
 一方、駅前には公園が整備され、そこには宮澤賢治の「発動機船二」という詩碑があった。これは震災前から駅前にあったもので、かつては旧駅舎の前にあったが、多少移動させたもののようだった。
 駅周辺では盛り土による土地のかさ上げが行われていたが、かつての住民たちが戻ってくることがあるものなのかどうか。駅を見下ろす高台に住宅が2軒だけ残っていて、このうちの1軒には今も住民が暮らしているということだったが、津波被害に合わなかったことは幸いだっただろうが、1軒だけ取り残された寂しさも格別のものだろうと思われた。
 私はこの日この駅で自分が乗ってきたものも含め3本の列車の発着を見ていたが、朝の時間帯だったものの、下車した者は私以外に一人もいなかったし、乗った人も一人しかいなかった。
 ここは、鵜の巣断崖など断崖絶壁がつづく陸中海岸独特の景観を楽しめる観光船の発着所でもあるのだが、多くの観光客が利用するよう願ってやまないのだった。

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(写真3 トンネルとトンネルの間を渡る堰堤を走る北リアス線列車)