ABABA’s ノート

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展覧会『リアルのゆくえ』

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(写真1 展覧会の入場チケットの半券から引用。図中、右が高橋由一の「鮭」、左が磯江毅の「鮭-高橋由一へのオマージュ-」である)
平塚市美術館で
 この美術館では、これまでも画家二十歳当時の作品を集めた『画家たちの二十歳の原点』といった展覧会を開催するなど、独自の視点による企画展が面白くて、東京から約1時間もかけて訪ねている。
 今回は『リアルのゆくえ』。リアルすなわち写実ということだが、高橋由一から五姓田義松、岸田劉生、さらに現代の野田弘志らへと、明治から大正、昭和そして現代、時間にして約150年か、我が国の写実絵画の流れがわかって充実していた。
 約50人100点の作品が展示されていて、高橋由一「鮭」、岸田劉生「麗子肖像」などと有名な作品も多く見られたが、注目したもの気に入ったものをいくつか。

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(写真2 椿貞雄「菊子座像」=会場で販売されていた絵はがきから引用)
 椿貞雄「菊子座像」(1926)は、一瞬麗子像と見紛うが、麗子像に比べよりリアルだし、麗子像のような不気味さもなく可愛らしい。顔立ちから手の指に至るまで女の子らしさが際立っている。椿と劉生は同じ画会に属していたようだし、お互いに影響があったのであろう。
 犬塚勉の「林の方へ」(1985)と「梅雨の晴れ間」(1986)は、何の変哲もない風景を描いているのだが、不思議と心が安らぎ、いつまでも立ち去りがたい思いが募った。とにかく草の1本1本にまでないがしろにしない緻密な画風に感心した。リアルの行方にふさわしい作品のように思えた。
 ほかに、高橋由一の「鮭」(制作年不明)と、磯江毅の「鮭-高橋由一へのオマージュ-」(2003)が並んで展示されていたのも楽しかったし、靉光「静物(魚の頭)(1941)は、靉光は人物画に限らず静物画にも及んでいたことを知って感興が深かった。また、自画像好きの私としては宮脇晴の「自画像」(1920)がよかった。
  しかし、画家のリアルとは何であろうか。写生にしろ、デッサンにしろ、どこを切り取るのであろうか。一瞬の時間か、長い時間の流れか、光と影はどのように選ぶのであろうか。なぜリアルに近づけようとするのであろうか。写実することが創造であるならば、画家の想像力は自らの制限を受けないのであろうか。こんなとりとめもないことに思いをめぐらしながら見ていたが、千葉のホキ美術館などで見る超写実絵画とは随分と違うものだなとも思っていた。もちろん、テクニックのことばかりではなくて。
 ところで、この美術館では、館内に舟越保武の「E嬢」があったし、構内には佐藤忠良の「緑」があって、日本を代表する二人の彫刻家の作品があって素晴らしいものだった。

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(写真3 神奈川県にある平塚市美術館外観)