ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『ジュリエッタ』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)
上質のスペイン映画
 上質の映画だ。切れのある映像という言い方があるのかどうか、映像にメリハリがあって、サスペンス風の物語がいっそう際立っている。
 舞台はマドリード。中年女性のジュリエッタ。男の誘いに同意して隣国ポルトガルに引っ越すことにして荷造りをしている。
 そのさなか、娘のアンティアをスイスで見かけたという知人に街中でばったり出会う。アンティアは二人の子どもを連れていたという。
 実は、アンティアは学校を出るや12年前に瞑想にふけりたいからといってピレネー山中の施設に出かけていったまま行方知れずとなっていたのだった。
 娘の帰りを待ちわびたジュリエッタ。やっと居場所を知らせる手紙が届いて迎えに行ったジュリエッタ。しかし、アンティアはすでに施設を去った後で、施設ではその行き先を教えることはできないと言うのだった。
 娘に何があったのか。娘はどこに行ったのか。なぜ娘は自分の前から姿を消したのか。何年も経つうちに、アンティアのやり方に腹を立てたジュリエッタは、娘と暮らしたアパートを引き払ってしまう。いつか娘が帰ってきたときのためにとアパートを動かないでいたのだったが。
 そして新しいアパートでの生活。新しい伴侶もできて、ポルトガルに越すことになったその矢先。
 娘の消息がわかって、ジュリエッタはポルトガルへ引っ越すことを突然キャンセルし男とも別れ、ショアンからの連絡があった場合に備えて、昔、ショアンと一緒に暮らしたアパートへ再び戻ったのだった。
 そこで、ジュリエッタはいつか娘に読ませたいと願って長い回想の手紙を書く。そこでは自分の人生を振り返っており、アンティアの父親との出会い、父親の死、自分の両親との確執、そして娘アンティアについては「私はあなたを知らなすぎた」と綴るのだった。
 現在のジュリエッタと若かった頃のジュリエッタが走馬燈のように巡る。その中には残酷なエピソードが含まれていた。しかもそれはアンティアには内緒にしていたはずのものだったのだが。
 二人のジュリエッタ。その二人を描く映像がとても印象的だ。心理の襞までもが写し出されているようだ。あるときは可愛らしく、あるときは美しく、そしてあるときは残酷に。
 原作は現代カナダのノーベル賞作家アリス・マンローの『ジュリエット』である。原作はすでに読んでいてどのように映画化したのか興味があった。
 マンローは短篇の名手として知られ、原作は3編の短編連作だったが、時間の移動が複雑で、しかもすべての心理を言葉で表現しようとしたかのようでとても難解だった。
 これに対し、映画はとてもわかりやすかった。もっとも、これは私が原作を読んでいたからで、初めてとりついたら、原作同様時間の移動が複雑だし、ミステリー仕立てだし、微妙に伏線が張られていて、やはり難解だったかも知れない。
 ただ、原作と映画は同じである必要はまったくないが、映画は原作にはないハッピーエンドとなっていて、これは良かったのかどうか、評価は分かれるのではないかと思われた。
 監督はペドロ・アルモドバル。アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭監督賞など数多くの賞を獲得しているヨーロッパを代表する名匠。