ABABA’s ノート

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池澤夏樹『キトラ・ボックス』

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上質な小説の面白さ
 もちろん続編ではないし、連作でもなく、シリーズでもないが、いろいろな意味で『アトミック・ボックス』を引き継いでいる。
 ミステリーでありサスペンスであること、このことがまず一つ。道具立てやトリックが秀逸であること、このことが二つ目。アトミック・ボックスほど奇想天外ではないが、設定が独創的で物語の展開を想像するに知的興奮が最後まで持続していること、このことが三つ目。
 そして、初め、読み出してすぐには気がつかなかったが、讃岐大学で考古学を専攻する准教授の藤波三次郎や同じく社会学専攻の宮本美汐が出てきていたのにである。50ページほど読んで、やっとあれっと思った。何のことはないキトラ・ボックスの登場人物たちではないか。
 ミステリーファンなのにこれはうかつだった。こんなことではとうてい鋭い読者にはなれない。しかも、池澤の愛読者でもあるのにで、これは情けない。
 しかもこの先、凪島に住む美汐の母親洋子、島の郵便局員行田安治や、広島在住の新聞記者竹西オサムまで登場するに及んで、ゲストこそ代わったものの、これはキトラ・ボックスの主要メンバー総動員である。こうなると、これはやはりシリーズ2作目ということになるものなのかどうか。
 ゲストは、大阪にある国立民族学博物館の女性研究員可敦(カトン=正確な発音はカトゥン)。中国ウイグル自治区からの留学生である。
 藤波のもとへ奈良県天川村の日月神社のご神体を調べて欲しいという依頼が届く。銅鏡で、調べてみると、可敦の論文にあったトルファン出土の禽獣葡萄鏡に似ていることに気づく。幸い、可敦は民博に来ており、一緒に銅鏡の預託先である橿原考古学研究所へ出向くことにする。
 検分すると、可敦はウルムチの王墓から出土したものと似ており、同じ工房で同じ鋳型から作られたものだと指摘する。また、銅鏡と一緒に剣もご神体となっており、剣には中国で星座である北斗と輔星が象嵌されていた。しかも、この星座はキトラ古墳の天文図と同じだと可敦は分析した。もし、キトラ古墳の被葬者がわかれば、これは考古学上の大発見である。
 また、数日して藤波から可敦にメールが届き、あの銅鏡は瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の禽獣葡萄鏡とも同じものだと気がついたと知らせがあり、藤波と可敦は大三島へ同行することとなった。
 ところが、大山祇神社を出たところで、二人は暴漢に襲われ、可敦が誘拐されそうになる。この時は藤波のとっさの機転で難を逃れたが犯人の目的は何だったのか。
 鏡と剣はどこから来たの?
 それは解くことのできる謎?
 なぜウイグルとここに?
 唐から日本へは誰が運んできたのだろう?
 唐からウイグルに運んだのは誰だろう?
 このように可敦が自問するように、様々な疑問がわき上がり、同時に誘拐事件の謎が不気味に迫ってくる。なお、私は考古学にはまったくの門外漢で、本書の展開がキトラ古墳の謎に迫っているのかどうかについてはまったくわからない。一つの解であるかどうかも含めて。
 いずれにしても、物語は時には遣唐使の時代にまで遡り、ウイグルやチベットの独立運動にまで波及し、北京の官憲の影が迫ってくる。
 どんでん返しが多くて、安易な筋読みは外され、予定調和的な進行とはならない面白さが手に汗を握らせる。
 冒頭に、本書『キトラ・ボックス』は、3年前刊行の『アトミック・ボックス』の続編ではないと書いたが、藤波三次郎、宮本美汐らが登場するシリーズとして是非次作を期待したいものだ。そういう面白さがあった。
(角川書店刊)