ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

若松を歩く

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(写真1 若松の海岸遊歩道。若戸大橋を背景に手前の赤煉瓦が旧古河鉱業ビル)
昔日の面影
  若松線を終点若松駅で降り立つと、駅舎が真新しくなっていた。先月3月にリフォームされてオープンしたものらしい。黒を基調にしたしゃれた建物で、石炭をイメージしたものだということだったが、かつて石炭の積み出しで殷賑を極めた名残はもはや感じられなかった。ただ、若松駅から若松港の石炭桟橋へとつながる広大な構内は、駅の規模にしては広すぎるほどの駅前広場に昔日の面影を探すことができた。
 往時、若松駅は石炭の積み出し駅として貨物の取扱高で日本一を誇り、構内は多数の留置線側線におびただしいほどの石炭車が行き交っていたといわれる。最盛期の1940年には年間830万トンもの石炭の積み出しがあったという。この様子が、駅待合室の写真パネルで見ることができた。

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(写真2 リニューアルされたばかりの若松駅)
  駅前は、平日の午前とはいえ閑散としていた。広場を突っ切り海岸へと歩を進めたが、ガントリークレーンなども残っていなくて、石炭積み出し桟橋の面影はどこにもなかった。
 眼前は洞海湾で、対岸が戸畑である。船舶の往来が賑やかで、若戸大橋が湾を跨いでいる。湾とはいうが、対岸まで数百メートルしかなく、まるで大きな運河のようだ。
 海岸沿いを若戸大橋めがけて歩いていったが、ウッドデッキも施されたりときれいに遊歩道が整備されていてとてものどかなものだった。
 途中、石炭会館や赤煉瓦の旧古河鉱業ビルといった歴史的建造物があったし、海運会社の建物も散見されて往時が偲ばれた。格好の散策コースであろう。
 近づくと若戸大橋が実に巨大。1962年の開通だが、当時東洋一の吊り橋で、我が国における長大橋の嚆矢だった。
 橋に近いところに戸畑に渡る渡船場があった。北九州市営で、乗船料金は100円。自転車を持ち込む人も多かったがこれは50円とのこと。頻繁に往来していて、対岸までわずか数分。地元の人々の足として今に至るも重宝されているようだった。
 渡船は橋の下をくぐるように洞海湾を渡っていて、戸畑側に着くと、渡船場から戸畑駅に向かって真っ直ぐに道が伸びていた。徒歩10分ほどか。若松駅から戸畑駅へと鉄道で向かうと若松線、鹿児島本線と乗り継いで40分要するし、料金も自転車込みで150円だし、簡便な足として人気が衰えないのであろうと思われた。

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(写真3 若松と戸畑を結ぶ渡船船上から見た若戸大橋の雄大な姿)