ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

両国界隈

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(写真1 両国駅舎に新たにオープンした-両国-江戸NOREN。中央に土俵が築かれている)
大相撲と江戸情緒の街
 両国界隈をぶらぶらと歩いた。両国は、国技館や江戸東京博物館などがあって時折訪ねるものの、街を散策するのは実は随分と久しぶり。
 起点はJR総武線の両国駅。かつては房総方面へのターミナルだった。その名残が現在も頭端式ホームとして現在に伝わっている。
 駅舎内はリニューアルされていて、-両国-江戸NORENというしゃれたコンセプト施設があり、観光案内所のほかレストランや土産物屋が店を開いていた。また、中央には大相撲の土俵が築かれていて、日本相撲協会監修という立派なものだった。
 両国界隈は、大雑把には町名で見ると総武線を挟んで、北側が横網(よこあみ)で、南側が両国となる。
 北側には、すぐ駅前に国技館がある。この日は本場所が開催されていなかったので、櫓も幟も見られなくて華やかさに欠けたが、国技館内には場所中にかかわらず相撲博物館が見学できて一つの見どころ。
 総武線に平行して国技館の隣が江戸東京博物館で、さらに東に進むと新しく人気が盛り上がってきた北斎通りとなり、昨年開館したすみだ北斎美術館があった。

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(写真2 野見宿禰神社にある歴代横綱の名が刻まれた石碑。左が1基目、右が2基目)
 また、その先には野見宿禰神社があって、境内には歴代横綱の名を刻んだ石碑があった。2基あって、1基目には、初代明石志賀之助から四代谷風梶之助などとあり、四十六代朝潮太郎までが刻まれている。2基目には、四十七代柏戸剛、四十八代大鵬幸喜から現在に至り、稀勢の里寛も七十二代としてちゃんとその名が刻まれていた。
  次ぎに、清澄通りを南へ向かって総武線のガードをくぐると町名は両国となる。京葉道路との交差点の角に、ライオン堂というキングサイズ専門の洋品店があった。胸囲胴囲100センチ以上、首囲46センチ以上、足のサイズ27センチ以上とあって、通りに面したショーケースにはシャツとパンツ(ズボンにあらず)が展示してあったが、その大きさに唖然とさせられた。いかにも相撲の街らしい。
 このあたりを行ったり来たりしながら歩いていたが、勝海舟生誕の地、芥川龍之介文学碑、吉良邸跡などとあって江戸が偲ばれた。
 また、大島部屋、井筒部屋、出羽海部屋、春日野部屋などと相撲部屋が点在していた。この日は大相撲は大阪場所の最中とあって、残念ながら相撲部屋はどこも戸を閉ざしていて稽古の声も聞こえなかった。
 京葉道路に戻ると回向院があった。江戸から明治の初めには大相撲の本場所はここで行われていたとのこと。力塚などと大相撲ゆかりの石碑が見られた。
 なお、京葉道路を西に進むとすぐに両国橋で、隅田川を渡る。そもそも両国とは、隅田川が下総国と武蔵国の二つの国の境だったことから両国橋の東側を両国と呼んだものらしい。
 回向院の前から両国駅に向かうと国技館通りなどがあって、ちゃんこ屋がそこここにあった。店名にかつての関取の名が使われていて風情のあるもので、これもいかにも大相撲の街らしいところ。

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(写真3 いかにも相撲の街らしくキングサイズ専門の店)