ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

髙村薫『空海』

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思索の旅生き生きと
 よくよく考えさせられる思索的な本である。かといって、苦痛を伴うことはないし、興味深くて先へと進みたくなる魅力はある。
 髙村の本は、小説であれ、時評であれ、好んでその大半を読んできた。よく調査し、考え、細部に至るまで理詰めに積み上げる作風と受け止めていた。著者自身本書冒頭で「長らく近代理性だけで生きてきた人間」と述べている通りの印象である。
 ところが本作はこれまでの系譜からははずれるようだ。つまり、極めて宗教的思索にとらわれるようになったということ。
 転機は、阪神淡路大震災に遭遇したことのようで、「いかなる信心にも無縁だった人間が突然、仏を想ったのである」といい、さらに東日本大震災で現実と向き合ううちに、「仏とは何かと考え続けて今日に至っている」と述べている。
 本書で興味深いことは、弘法大師・空海の事跡を追いながら新しい空海像が構築されていることで、さらに、本書を面白くしているのは、空海と向き合った髙村の思索の旅が生き生きと描かれていることであろう。また、挿入されている豊富な図版も読むに楽しくさせている。
 とにかく引きたい言葉が多くて枚挙にいとまがないのだが、幾つか抜いてみよう。
 まず前提として、「私たち日本人一般にとって空海がいまなお捉えどころのない存在であるのは、いったいなぜだろうか。いまどき、空海が高野山の奥の院の御廟で生きて修行を続けていると信じている人間などいないにもかかわらず、なぜその有り難みは無くならないのか」とし、「空海を訪ねて日本各地をめぐる旅は、おそらく私たち日本人の信心のかたちをめぐる旅になるはずだ」と前置いている。
 高野山について。「静寂な祈りと、私のように信心のない者でもこころが鎮まる癒しの空間がある」とし、また、晴朗で明るくとも述べており、「他宗の大本山を包む空気とはかなり趣が違う」として、延暦寺や永平寺に比べても風通しがよいとしている。
 若き空海が虚空蔵求聞持法を修したとされる高知県室戸岬の厨人窟を訪ねた折りのことについて、「まさに『三教指帰』のかの有名な一文「谷響を惜しまず、明星来影す」のままであり、さっきまで空海その人がそこに座していたかのようだった」と延べ、この一文はこの先本書を通じて繰り返される。そして髙村は、空海はこの時の体験から仏教的直感を言語化したと指摘している。
 唐に留学した空海は恵果の弟子となり、『大日経』系と、『金剛頂経』系の二つの密教が一つに止揚され得ることに衝撃を受けたとし、「こうして空海は実に大きな宗教的果実と確信を得て」帰着したと指摘している。
 ここからだいぶ先へ飛ばしてもらう。空海は死後弘法大師と諡号されるが、髙村は「真言密教とはある意味、空海のような宗教的天才をもって究竟できる世界なのではないかという根本的な懐疑はさておき、宗派を継いだ弟子たちの修法が型どおりの儀式の域を出ず、格別な験力も政治力もなかったとすれば、その後の真言宗に何が起きたかは想像がつく。そう、滅罪の法華経と国家護持の密教の融合に成功しつつあった天台宗に、水をあけられていったのである」と手厳しく断じている。
 さらに、「空海亡きあと、高野山は御廟を守ることが座主の第一の務めになったことで、空海が打ち立てた真言密教の探求は疎かになった。(略)、現に近年の研究では、空海が没して以降、数百年にわたってその著作が宗派内でひもとかれた形跡がない、というのである」として驚くべき事実を指摘している。
 このままでは、空海、弘法大師、高野山に立つ瀬がなくなってしまうが、高野山が今日なお、天台宗の比叡山にも増して多くの人々の信仰を集めているのはなぜか。
 髙村によれば、そこには高野浄土思想があり、貴紳に始まった高野詣は次第に庶民レベルにまで広まったとし、そこには「全国に弘法大師の入定留身と高野浄土を説いて回った高野聖の存在を忘れるわけにはゆかない」と述べ、「日本仏教を底辺で支えた高野聖は、高野山と弘法大師を千二百年生き延びさせた最大功労者であることに疑いはない。そう考えると、弘法大師に庶民性があったというより、むしろ無名の聖と民衆の尽きない信心が弘法大師に乗り移り、庶民に親しまれる「お大師さん」を生み出したのだと思えてならない」と論じている。
 引用が長くなったが、最後にもう一つ、四国霊場をめぐるお遍路さんについて。「先祖供養や病気平癒を祈願し、はたまた自分探しの旅をする善良なお遍路たちの気分を一言で言えば、高揚と多幸感であろう。そしてその高揚こそが、ときにお大師さんを出現させるものだと思う。四国霊場の随所におわす弘法大師は、真言密教を確立した空海ではない。千年に亘って聖たちが伝え歩いてきた「いまも奥の院で生きているお大師」である。生きているので遍路のさまざまな時と場所に姿を現す。文字通り、「同行二人」である」と述べている。
 最後に髙村は、「もしタイムマシンがあったなら、私は誰よりも生きた空海その人に会ってみたい」と結んでいる。
 なお、本書の刊行は2015年の9月。本に挟んでおいた書店のレシートによれば、発行後すぐに購入はしていたようだが、しばらくは積んだままになっていた。それが、暮れに書棚の整理をしていて改めて本書を手にしたという次第。本との出会いは一期一会みたいなもので、目についたときに買っておかないと次の出会いは滅多に訪れない。そういうことで、手もつけずに置いた本がどんどんたまって自分を苦しめるというスパイラルが伸びていく。
(新潮社刊)