ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

JR全線全2回完乗達成!

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(写真1 JR全線全2回完乗を達成した伊勢奥津駅ホームで=同じ列車で降り立った鉄道ファンらしき男性がシャッターを押してくれた)
名松線伊勢奥津駅
 このたび名松線伊勢奥津駅をもってJR全線をすべて2回以上完全に乗車するというJR全線全2回完乗を達成した。なお、私はこれより前、2003年7月17日に留萌本線増毛駅をもって旧国鉄(JR+第三セクター鉄道等)全線を完乗踏破していた。さらに、2007年11月3日には島原鉄道加津佐駅をもって日本の全鉄道全線完乗を達成していた。この全鉄道全線にはJRのほか第三セクター、私鉄、地下鉄、モノレール、新都市交通、路面電車、ケーブルカー等とにかく日本全国の鉄道と名の付くものすべてが含まれている。
 2017年1月5日13時09分松阪駅5番線から1両のディーゼルワンマン列車は改めて身震いするように車体を振るわせながら伊勢奥津駅に向けて走り出した。紀勢本線からの列車接続を待って4分遅れている。今年の初旅であり、いよいよJR全線全2回完乗達成の最後の1線の旅の発車である。
 名松線とは、松阪市の松阪駅から津市の伊勢奥津(いせおきつ)駅を結ぶローカル線である。全線三重県下を西へ、つまり奈良県との県境に向けて走る。県境を越せば室生である。全線43.5キロ、駅数は15である。
 松阪を出てしばらくは田園地帯を走っていたが、一志(いちし)を出て山間へと分け入り、井関を過ぎたら右窓に雲出川が寄り添ってきた。この先列車は雲出川を頻繁に渡り右に左にと風景を変えた。雲出川は大河ではないが、車窓を楽しませてくれる風情がある。

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(写真2 家城駅では運転士が駅員にタブレットを手渡していた。JR東海ではここだけの今や珍しい風景)
 家城(いえき)14時50分着。ここで上り列車と交換のため待ち合わせ。列車が到着したら、運転士がタブレットを駅員に渡しているのが目撃できた。上り列車はすでに入っていたが、名松線は全線で単線であり非自動閉塞区間なのである。この頃では見かけることの少ない風景で、JR東海では今やこの名松線だけらしい。
 なお、名松線は、2009年10月8日の台風被害により家城駅-伊勢奥津駅間が不通となりバスによる代行運転が行われていて、家城駅前が代行バスの発着所となっていた。全線で運転が再開されたのは2016年3月26日だった。
 13時59分家城を発車。谷が深くなりすぐに登攀の連続となった。ディーゼルが喘いでいる。沿線は見事な杉林で、美杉という町の名前があるほどである。林業の町らしい。また茶畑も見られた。途中の駅には、「お帰り名松線」の横断幕が見られた。復旧には7年近くもかかったのである。
 実は、この名松線は、国鉄分割民営化の折に廃線の俎上に乗せられたのだが、道路未整備による代替交通機関がないという理由で廃線を免れたいきさつがあった。同じような措置を受けた路線に岩泉線(岩手県)があったが、岩泉線はその後廃止となっており、名松線はいわゆる特定地方交通線で唯一の生き残りである。
 そうこうして伊勢奥津14時33分到着。行き止まりの終着駅である。片面1線のホームに降り立ったその瞬間がJR全線全2回完乗達成となった。数人が下車したがその全員が鉄道ファンのようだった。
 実はこの駅に降り立つのは2度目ではなく3度目である。1度目は1998年6月6日で、もう18年も前になるが、あの当時、伊勢奥津駅は山間の寂しいたたずまいだったことを今でも鮮明に覚えている。1面2線のホームで、駅舎もなかったのではないか。たしか、降り立った人は他に誰もいなかったと記憶している。
 2度目は、2015年9月12日だった。この頃、JR全線全2回完乗が射程圏内に入っていて、最後は名松線にしようと計画をしていた。ところが、名松線は台風被害で不通になったままなかなか運転が再開されない。同じく台風被害で不通になったまま結局廃線に追い込まれた岩泉線の例もあるし、やきもきして再開を待っていた。
 この間に、JR全線全2回完乗で残っていた川越線などは片付いてしまっているし、最後となった名松線が乗らないまま廃線になってしまうことを恐れていた。
 それで、代行バスによるとはいえそれも完乗したこととしようと自分なりに思い立って乗りに来たのだった。
 ところが、家城から代行バスで伊勢奥津駅に降り立つと、真新しい駅舎ができていて、半年後には全線で運転を再開すると横断幕が張られていた。駅舎は、いかにも林業の町らしく杉材をふんだんに使った立派なもの。名松線全線再開に期待する地元の熱意が痛いほど伝わってくるようだった。
 そこで、鉄路がつながるものならば、もう一度乗りに来て、きちんと名松線完乗を果たさなければならないと決意を固めていたのだった。
 そういうことで、1年半ぶりに伊勢奥津駅に鉄道できてきちんと降り立ったのだった。初めて来たときからは18年が過ぎていた。また、現在のJRに引き継がれた旧国鉄完乗からでは13年が過ぎていた。
 伊勢奥津が近づく車内で、むなしさがこみ上げてきて困った。これは自分自身意外だった。それは達成感がないとかそういうことではなくて、逆に、自分自身、膨大な時間をかけて「なんでこんなことをやっているのだろう」という感情が突然のようにこみ上げてきたし、好きなことをやってきてこの喪失感みたいな気持ちはどうしたことなのだろうと考えていた。

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(写真3 新しくなった伊勢奥津駅駅舎。名産の杉材がふんだんに使われている)