ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

映画『淵に立つ』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスター)

 徹底して映像で語る

 深田晃司監督・脚本・編集作品。今年のカンヌ国際映画祭で「ある視点」部門審査員賞を受賞している。
 小学生の女の子がオルガン練習をしている場面から映画は始まる。
 発表会が近いらしく母親が付き添って教えている。父親は親から受け継いだ金属加工工場を営んでいる。住居と工場が同じ屋根の下という典型的な町工場である。従業員はいないようだ。
 娘が弾いているのは「紡ぎ歌」という曲。私でも知っているほどにポピュラーで、音楽教室の発表会の定番。人生を紡いでいくという意味合いがあって人気の曲である。
 この一見平穏そうな家庭に、ある日突然男が入り込んでくる。11年ぶりらしいが夫の古くからの友人だというだけの説明で、しかも住み込みで働くことに。
 妻や娘は男の闖入に戸惑うが、しかし、男はあくまでも礼儀正しく、しかも妻や娘にも優しく接するところから次第に心が解きほぐされていく。
 それにしても男は何者なのだろうか。夫とはどういう関係なのだろうか。
 ここまで見てくるとごく平和だったかのような生活に小さなさざなみが立ってきたようだし、しかも、夫婦の間の会話は少なく温かみに欠けるようだ。
 映画は徹底して映像で語っている。余計な言葉で補足しないのがいい。派手さはないが秀逸な映画言語である。固定カメラが長回しされたような冷徹な場面が多く、距離を置いて安易な情緒を排している。わずかな会話の端々から物語の進行を知ることになる。
 性格描写も、時に衣装から知ることになる。男は四六時中白い長袖のワイシャツを着ている。ネクタイは締めていないのにボタンはのど元からきちんとはめられているといった具合で、映像は極めて雄弁である。
 加えて、出演者には巧まざる演技が感じられてリアリティが出ている。男(浅野忠信)、妻(筒井真理子)、夫(古舘寛治)などと、ことさらな演技を感じさせない自然な達者ぶりである。
 映画は、わずかな妻の心のすきに男が入り込んできてやがて大きな悲劇へと発展したところで、大きくフェードアウトする。ここまでで初めてのフェードアウトではないか。ここまではカットバックばかりだったのだ。
 フェードアウトした映画は8年後へとつながっている。あのとき何があったのか、男はどうなったのか。あくまでもミステリーは続く。
 いかにも映画的な寓意も描かれている。しかし、徹底して映像で語ってきた映画はこのあたりから時に饒舌になってしまう。過剰なわけで、このあたりのことは好みのこととして片付けてもよろしいのかも知れないが私には最後まで冷徹なカメラが欲しかったように思われた。見終わって、苦い映画だったというのが率直な感想。人生は不条理なものだが、娘の悲劇は夫婦にとって免罪符だったのか、罪を犯したものだけが結果として生き残るとはどういう意味だったのか。