ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

土浦(茨城県)

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(写真1 二の丸から見た櫓門)
三つの顔を持つ街
 常磐線の土浦を訪ねた。ここを通ったことはたびたびだし、下車したことも一再ならずあるのだが、街を歩いたことは初めてだった。
 土浦は茨城県の南部、北に筑波山を望み、南に霞ヶ浦に面する。上野から快速列車で58分、特急列車なら41分。東京からの通勤圏である。
 まだ新しそうなしゃれた駅舎を、上野から進行方向右側東口に出れば霞ヶ浦、左側西口に向かうと市街中心である。
 初め、西口から一直線にぶらぶら歩き出した。目指すは通称亀城(きじょう)と呼ばれる土浦城址である。ここは、水戸街道の宿場町であるとともに城下町でもあるのだ。
 15分ほどで城址に着いた。堀が巡らされている。典型的な平城で、防御上幾重にも巡らされた堀が需要な役割を担っていたようで、その掘り割りに亀の形に見える城郭が浮いているように見えたところから亀城と呼ばれるようになったものらしい。
 土浦藩は、江戸時代に入って徳川家康の次男結城秀康が入封したほどだから幕府にとっては大きな位置づけだったのだろうが、秀康が越前福井に移封されると、たびたび転封、入封が繰り返され、土屋政直が入ってからは200年続き維新を迎えている。政直は綱吉から吉宗まで4代にわたって老中を務めており、所領は9万5千石を数えた。
 代々譜代が続いており、まことに名門ということになるが、現在の城址はさほど広くはない。天守閣は造らなかったようだが、霞門から入るとすぐに本丸である。東櫓と西櫓が復元されているが、本丸から二の丸へと渡る櫓門は往時を偲ばせている。何でも本丸にある櫓門としては関東で唯一現存するものだということである。
 二の丸から北側へと抜けると市立博物館があり、その脇を回り込むように南にとって返すと、途中、土浦小学校というのがあった。全面芝生の校庭というのも素晴らしいが、最近新築されたものであろうか、校舎が驚くほど立派だった。お城のそばということで、環境に配慮されたデザインになっていた。よほどの名門であろうと調べてみたら、創立は明治6年、140周年を迎えたとあった。

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(写真2 江戸末期の商家などが建ち並ぶ旧水戸街道)
 この小学校の前から再び二の丸に入り、南に位置する前川口門から出ると、少しして水戸街道に出た。といっても旧道のようで、狭い道だが、このあたりの街並みが往時の商家などが残っていて風情あるものだった。
 駅まで戻り、せっかく土浦まで来たのだからと、霞ヶ浦を見に行った。バスで10分ほど、霞ヶ浦総合公園から眺めたのだが、霞ヶ浦はまことに大きい。向こう岸がかすんで見えない。湖として琵琶湖に次ぐ全国第2位の面積といい、湖岸の延長距離だけなら琵琶湖を上回り第1位だということである。
 この日は日曜日だったのだが、霞ヶ浦の風物詩帆曳船が遠くかすんで見えた。白い大きな帆で、遠目には貝殻を立てたようにも見えた。何でも、休日だけの観光用だということだった。
 結局、土浦は城下町であり、宿場町であると同時に、この霞ヶ浦の舟運を生かした港町でもあって、三つの顔を持つ街だと土浦の観光パンフレットには謳ってあった。

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(写真3 霞ヶ浦。風物詩帆曳船が遠くかすんで見える)