ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

内牧公園の東武鉄道貨車

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(写真1 内牧公園で管理事務所として使われている車掌車と有蓋貨車)
シリーズ車掌車を訪ねて
 春日部市内牧3090番地所在。東武鉄道春日部駅西口から朝日バス春日部エミナース行き乗車約15分、共栄大学入り口下車徒歩7分ほど。歩くなら北春日部駅から約30分。私は往きはバス、帰りは歩いたが、バス便は本当に悪くて、帰りは日中は3時間も次のバスがなかった。共栄大学のスクールバスがあって便乗させてもらおうとしたのだが断られた。
 春日部は埼玉県の東部、日光街道の宿場町として栄えた。春日部駅は東武スカイツリーライン(伊勢崎線)と東武アーバンパークライン(野田線)がクロスしている。
 内牧公園はなかなか大きな公園で、フィールドアスレチックなど様々な施設があるようだった。
 目指す車掌車は公園に入ったすぐ、何のことはない公園の管理事務所として使われていたのだった。
 敷かれたレールの上に、車掌車と有蓋貨車が連結されて留置されていて、車掌車は倉庫、有蓋貨車の方は事務所として使われている。
 両車両ともに、ペイントは塗り直したらしく、形式や車両番号等一切の表示が消えてしまっていた。
 ただ、銘板は残っていて、車掌車には楕円の中に「東武鉄道 杉戸工場 昭和41年」と3段に表示があり、有蓋貨車には同じく楕円の中に「宇都宮 富士重工 昭和41年」と3段に表示があった。
 管理事務所に尋ねたところ、資料は役所にも残っていなくて詳細はわからないとのことで、形式や履歴などははっきりしなかった。

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(写真2 車掌車の内部。これは信号弁であろうか、装備がそのまま残っていた)
 管理事務所に無理をお願いして車掌車の内部を見せてもらったところ、倉庫として使われているから荷物が積み上げられているが、内部の状態はさほどには悪くないようだった。天井は木質で、室内の広さは畳2枚分か。倉庫として使われる前は事務所として使っていたということで、窓はサッシがはめ込まれていた。その後、調べてわかったが、東武鉄道の車掌車ヨ101形の現存する3両のうちの1両で、ヨ125のようだ。なお、この形式は無蓋貨車の改造なそうで、そのせいか、車室に比べデッキが随分と広かった。ブレーキなど車掌車として使われていた装備はそのまま保存されていた。
 一方、有蓋貨車は事務所として使われていて、引き戸を付けたり窓を付けたりと随分と改造を行っていた。車内にはエアコンも備え付けられていて、事務所としては結構な広さのように思われた。
 形式は東武鉄道ワラ1と呼ばれるものであろう。国鉄のワラ1の同一設計になるもので、富士重工で100両が製造され、国鉄との直通運用に使用されたもののようだ。
  なお、ここ内牧公園の車両は、貨車の保存展示が目的ではなくて、あくまでも転用であって、そのせいか、車両の前面に自動販売機が4台も据え付けられていたりして、保存車両とし見たた場合、必ずしも風情のあるものではなかった。もっとも、こうして使われているから結果として保存されているという小さくない意味はあるのだけれども。

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(写真3 反対側から見たところ。手前がヨ101形車掌車、奥が東武ワラ1形有蓋貨車)