ABABA’s ノート

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映画『ティエリー・トグルドーの憂鬱』

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(写真1 映画館に掲示されていたポスターから引用)

秀逸なありふれた話

 この映画に対する評価は真っ二つに分かれるに違いない。
 なんだどこにでもある話ではないかといって片付けるのか、社会の問題を鋭く追求したととらえるのか。
 結論から言うとそのどちらでもある。
 物語は簡単である。主人公ティエリー・トグルドー。長年、工場で働いてきたのに突然解雇される。求職中だが、1年半も失業のままでやっと見つかったのはスーパーの警備員の仕事。
 ここでトグルドーは万引きの摘発を任務にしている。対象には客ばかりか従業員も含まれる。
 従業員からは、見逃してくれと懇願されるし、仲間を売るのかとさげすまされる。あるとき、勤続20年のレジ係が客が使用したクーポン券を着服した。穏便にと頼まれるが会社は厳罰に処する。
 これだけのストーリーだが、この間に挟まれている小さなエピソードが大きな意味を持っている。
 不当な解雇だと言って仲間は会社と闘っているがトグルドーは一歩引いている。
 家族は妻と息子。妻との仲はよく、障害のある息子の面倒もいとわず見ている。ただ、失業が長引くと生活が立ちゆかなくなるといって気が滅入る。
 財産の処分に迫られ、ボートハウスを売却することにしたが、買い手とは折り合いが付かないが一歩も譲らない。
 警備員の仕事には熱心で、融通はまったく利かせない。
 これでも身近にあるありふれた物語である。
 しかし、だからと言って、昨今稀に見る社会派ドラマだなどととすると、映画としての面白さは薄まってしまうのではないか。もちろんそうではあるのだけれども。
 極めて人間くさい映画と見ることができるのではないか。
 トグルドーを演じた主演のヴァンサン・ランドンが断然いい。渋いが、存在そのものが演技になっている。トグルドーは50台らしいが、ランドンはもう少し老けているようにも思えた。くだけて言えばそれほどはまっていたということでもある。
 挿入された小さなエピソードは、自分の価値観をしっかり持ち、主張すべきは主張するし、、唯々諾々とは従わないというトグルドー像を描いているが、しかし、決定的な言葉は冒頭でトグルドーがつぶやいた「心が裂けた」というセリフだろう。
 初め、どういう意味か計りかねていたのだが、ラストシーンで観客にはその意味するところが提示された。不条理への反発であり、人間としての矜持が示されたと言ってもいいだろう。
 監督ステファヌ・プリゼの演出が面白い。終始憂鬱そうなトグルドーの顔のクローズアップを多用している。それも正面と限らず、肩越しだったり、盗み見るようだったりと。
 結局、ランドンの演技とプリゼの演出があって人間の内面を鋭く描くことができたのではないか、私にはそのように思われた。これはいかにもフランス映画である。