ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

舟越保武『大きな時計』

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鋭い観察と巧まざるユーモア
 彫刻家舟越保武のエッセイ集である。このたび知人がプレゼントしてくれた。私が自室に舟越さんの絵を飾っているのを見ていたらしい。1992年の刊行とあるから、探し出してきてくれたもののようだ。
 27編のエッセイが収録されている。大半は1986年から半年にわたって日経の夕刊に連載されたものである。
 読んでみるとなるほどと感心することがまず一つ。つまり、いかにも芸術家らしく身の回りの細々としたことへの観察が鋭いということ。とくに彫刻家らしいと言えば人間の体についてのエッセイが多い。やはり骨格などを普段から観察しているものらしい。
 二つには、これは一流のエッセイだなということ。私は日本エッセイストクラブ賞を受賞した『巨岩と花びら』なども読んでかねて感じ入っていたことではあったが、改めて感心した。舟越さんを紹介するに、もとより戦後日本を代表する彫刻家であるわけだが、エッセイストという肩書きも忘れてはならない、そのように思ったのだった。
 幾つか拾ってみよう。
 「うなじ」では、「若い女性が髪を上にかきあげたとき、頸のうしろのあたりが、まことに美しい」、「顔が美しいのはいいが、ともすれば、表情がうるさく、わずらわしく、いつも変わっているので、かえってよく見えないのだが、うなじは、何げなく、さりげなく美しい」とある。
 そう言えばこの時期、富山・八尾の祭り「おわら風の盆」で思い出すのは、三味線や胡弓の音に合わせ道を踊り歩く若い女性たちの姿だが、女性たちは着物に編み笠を深くかぶっていて顔がよく見えない。見えているのはうなじだけだが、これがかえってとても艶っぽくて、あの祭りの人気はここにあるのではないかとさえ思えてきたものだった。
 「眼」には、自身について視線衝突恐怖症というものがあって、しゃべるときどうしても伏し目になってしまうとしながら、「この頃になって気がついたことだが、私の作る彫刻の眼までが、伏し目がちになっている」、「カッと眼をひらいた彫刻は、私には、強すぎていけない。眼を伏せている方が、観る人の心を吸い込んでくれるような気がする」という。
 確かに、舟越さんの作品は私が書斎にかけている「若い女」という作品も、まことに美しいのだが、正面は向かず、横を向いてやや伏し目がちである。
 「美人」という編もある。そこには、「美人」と「美しい人」とは別なものだ、とあり、「美しい人、というのは顔かたちではない。心の美しさが顔に現れる人のことだ」といい、「美人は整形手術でも作れる。だが、「美しい人」は、その人の心が作るのだ」とまで書いている。
 舟越作品には、「LOLA」にしろ「クララ」にしろ美しい女性が多い。舟越さんには独特の美意識があったものであろうし、美しい作品を描くには、舟越さん自身が美しい心を持っていたからではないか、そのようにも思えてきたのだった。
 なお、本書にはところどころに素描が挿入されていてこれも楽しい。なお、本書によると、舟越さんはこの連載後間もなく脳梗塞で右半身不随となったが、挿入されている素描は左手で書いたものだという。
 たまたまのことだが、私が持っている絵も舟越さんが右手で描いた最後の作品とされ、サインだけは左手でしたためたとあったから、このエッセイと私が持っている作品とは同じ時期のものだということになって、なおさら感興が深かった。
(すえもりブックス刊)