ABABA’s ノート

旅と鉄道、岬と灯台、読書ときどき映画あるいは美術に関するブログです。

関崎と関埼灯台(大分市佐賀関半島突端)

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(写真1=岬の中腹にある展望台から見た関埼灯台と豊予海峡)

豊予海峡を望む絶景の岬
 九州を鉄道で巡る岬への旅2日目は、大分県にある二つの岬を巡った。
 7月23日、まずは関崎へ。佐賀関半島の突端に位置し、所在は大分市にあたる。由来はわからないが別名地蔵崎ともいわれる。
 前夜泊まった小倉から日豊本線で大分へ。小倉7時15分発ソニック1号。沿線は北部九州東側の工業地帯が続き、とくに自動車工業が盛んである。苅田を過ぎて西日本工業大学の大きな看板が見えてくるとすぐに小波瀬西工大前で、このあたりまでが工場地帯か。大分着は8時44分だった。
 関崎への最寄り駅は幸崎で、ここから佐賀関まではバス便があるのだが、この日はこの先も岬めぐりをする予定なので、大分からレンタカーにした。
 大分駅9時10分出発。初め大分平野を別府湾に沿って進み、精錬所の大煙突が見えてくると佐賀関(さがのせき)である。かつてはこの大煙突が2本あったように記憶しているが、このたび通ったら1本だけとなっていた。佐賀関は半島先端の付け根にあたり、銅精錬の鉱業のほか、豊予海峡という絶好の漁場をもつ漁港としても知られる。とくに、関アジ・関サバは有名である。
 佐賀関までは国道197号線が順調だったドライブも、精錬所のゲート前を右折すると、そこからはすぐに登坂にかかり、狭くくねくねした道が続く。これは岬に至る道の常ではあるが、それにしても長い。そうこうして10時10分岬到着。佐賀関からは約20分。出発からちょうど1時間の道のり。これはずばり当初計画通りだった。
 ところが、灯台への入口が見当たらない。見落としたものらしい。いったん戻ってやっと見つけた。何のことはない、関崎稲荷という神社の鳥居をくぐるのだった。そうと気づけばここには駐車場もあったのだった。ここからは起伏の緩い道を歩くと10分ほどで灯台に。関埼灯台である。

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(写真2=関埼灯台。関崎の突端にあるはずだがここからは眺望が開けなかった)
 白亜の灯台で、ずんぐりしている。大きな台座の上に灯塔がのっているという感じ。鋲が打ってあり鉄製である。1901年(明治34年)初点とある。座標は北緯33度16分00秒、東経131度54分08秒で、灯高が11メートル、灯火標高は69.4メートルである。
 ところが、眼前を見渡して呆然とした。灯台は結構高いところにあるのだが、いかんせん、周りをぐるっと樹木が取り囲んでいてはなはだ眺望が開けない。木々の間からかすかに望める程度である。これははなはだよろしくない。もう少し何とかならないものだろうか。私はここは2度目で、数十年前にお初めて訪れたときには大海原をのんびりと眺めていたものだったが。
 大きな不満を抱いて帰路についたら途中に展望台があるというので寄った。海星館といい、展望台と天文台を兼ねた施設だった。
 ここからの眺望はよかった。岬は見晴らしのいいものだがここは格別だ。両手を広げて余るという表現を私は好むが、ここは270度もの眺望ではないか。眼前まったく遮るものがない。絶景である。
  佐賀関半島は、四国側愛媛県佐田岬半島と相対している。それぞれの突端、関崎と佐田岬といずれにも2度以上到達したことがあるのだが、その魅力は甲乙つけがたい。
 眼前はもとより大きくは豊後水道である。その最狭部が豊予海峡ということになる。瀬戸内海と太平洋を分けているわけだが、あまりに近くて橋でも架けられるのではないかとさえ思われる。
 展望台から望むと、眼下をしきりに船が往来している。眼前が高島で、その向こうに島影が見える。判然とはしないが佐田岬そのものであろうか。これは大変に満足のいく眺望だ。それだけに灯台からの眺めが開けていなかったのがいただけなかった。

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(写真3=岬の中腹にある海星館。ここからの眺望は素晴らしく絶景である)